播州・斑鳩寺(太子町)
伝承によれば、推古天皇14年(606)聖徳太子が開基した霊刹である。推古天皇は太子に命じて勝鬘経を講義させ、天皇はその優れた内容に感動して播磨国揖保郡(兵庫県揖保郡)の水田360町を太子に賜った、太子はこの地を鵤(いかるが)の荘と名付け一つの伽藍を建立した。これが播州・斑鳩寺の始まりである。
往古には七堂伽藍、数十の坊庵が甍を連ね壮麗を極めたが、天文10年(1541)戦禍(尼子正久氏の播磨侵攻)中に堂塔悉く焼失。その後、笹山円勝寺(兵庫県たつの市)の昌仙法師により講堂、三重塔、聖徳殿(太子堂)、仁王門など漸次伽藍が再建された。
斑鳩寺は創建以来法隆寺の支院であったが、火災再建後、天台宗となり現在に至っている。
仁王門 桁行3間梁間2間、入母屋造、本瓦葺きの八脚門。 江戸初期の寛文13年(1673)建立、18世紀前半に大改修が行われたとようである。 大きく軒が出て、重厚感のある実に堂々とした八脚門である。 向かって右に阿形、左に吽形の仁王が、近づく邪悪から寺院を守護している。 |
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聖徳殿前殿 聖徳太子立像(秘仏・聖徳太子十六歳孝養像)を祀った太子堂で、斑鳩寺で最重要の堂宇である。 桁行5間、梁間5間、1間向拝付、入母屋造、本瓦葺き、寛文5年(1665)の再建。 現在は背後に、八角形3層の屋根(銅板葺)を持つ 聖徳殿後殿(大正5年・1916)が増築されている。 |
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講堂 仁王門を入ると正面に建っている。 弘治2年(1556)の再建、明和6年(1765)修復。 講堂の本尊として釈迦如来坐像、薬師如来坐像、如意輪観音坐像(いずれも丈六像)が祀られている。 |
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三重塔 仁王門を入って右側に建っている 天文10年(1541)焼失後、龍野城主赤松政秀(宇野政秀とも呼ばれている)等により永禄8年(1565)に再建されたもの。 斑鳩寺伽藍の中では最古の建物。バランスの良い美しい姿の塔である。 室町後期(永禄8年・1565)、昭和27年(1952)解体修理竣工。 三間三重塔、本瓦葺、塔高:25m、四方に石段付。 初層に擬宝珠高欄付き縁、2~3層部は刎ね高欄付き縁をを巡らしている。 中央間は板唐戸、脇間に連子窓、組物は三手先、二軒(地垂木と飛檐垂木で構成された垂木)で構成されている。 |
冒頭の写真は、聖徳太子の真筆とされている「勝鬘経講讃図」(鎌倉時代・国重文)で斑鳩寺の了解を得て、斑鳩寺リーフレットから転載したもの。 尚、講堂に祀られている本尊の丈六仏3躯、及び宝物館に安置されている仏像については、http://masayama.justhpbs.jp/ikarugaderanobutuzou.htmlをご覧ください。
(参考:斑鳩寺リーフレット、文化庁データベース、Wikipedia) 170605