一乗谷・西山光照寺跡石仏群
往時一乗谷には40余の寺院があったと云われている、その中でも西山光照寺は、天台宗真盛派の大寺院であったとされている。(参考:Wikipedia)
寺院跡参道の両側には、覆屋が設けられ、40体ほどの大型石仏が並べられている。大多数は青味がかった石材(笏谷石)に半肉彫、又は厚肉彫りの仏像である。
※笏谷石(しゃくだにいし)とは、福井市足羽山で採掘される凝灰岩の一種。
。
【写真左】…阿弥陀如来立像、上品中生の印を結び、納衣を通肩に着け、蓮華座に立つ。室町時代。
【写真中】…阿弥陀如来立像、上品下生の来迎印を結び、納衣を通肩に着ける。室町時代。
【写真右】…地蔵菩薩立像、右手に錫杖、左手に宝珠を持ち蓮弁型光背(舟形光背)背に、蓮華座に立つ。像高は、凡そ2.5m、室町時代。
【写真左】…不動明王立像、頭上に頂蓮を載せ弁髪を左肩に垂らし、右手に宝剣、左手に羂索持ち、臂釧、腕釧を付ける。目は天地眼である。蓮弁型光背に火炎を刻む。室町時代。
【写真中】…千手観音立像、本手は合掌、第2手で宝珠を捧げる。頭上の小面を2段に重ねる、恐らく曼荼羅の中にある27面42臂の姿を現したもにであろう。室町時代。
【写真左】…虚空蔵菩薩坐像、宝冠をかぶり、右手に宝剣、左手に如意宝珠を載せる胎蔵界曼荼羅の虚空蔵菩薩である。室町時代。
【写真左】…如意輪観音坐像、右膝をたてて両足の裏を合わせる独特の坐法(輪王坐)で蓮華座に坐している。室町時代。
【写真中】…阿弥陀如来立像、上品下生の来迎印を結び納衣を通肩に着けている。光背は阿弥陀如来に代表される放射光の頭光光背を刻む。
【写真右】…阿弥陀如来坐像、上品上生の印を結び、納衣を偏袒右肩に着け、裳掛座に結跏趺坐している。室町時代。
【写真左】…不動明王と制咤迦童子(せいたかどうじ)、不動三尊像は右脇侍(向かって左)に制咤迦童子、左脇侍に衿羯羅童子(こんがらどうじ)を従えるのが通常である。本像は左脇侍の衿羯羅童子を失っている。また、制咤迦童子の像容は棒を持つのが一般的である、本像も前で組まれた右手に棒を持っている(写真ではチョットみにくいが)。不動明王は天地眼で弁髪を左肩に垂らし、宝剣と羂索を持つ通常の姿である。尚、本像は一連の石仏の中では1〜2を争う大型の石仏である。室町時代。
【写真右】…石仏3体、いずれも蓮華座に立っているが、(向かって右)錫杖と宝珠を持つ地蔵菩薩(中)合掌姿の地蔵菩薩か?、普賢菩薩以外で合掌姿の仏像は珍しいが、六地蔵の一人に合掌姿がある。(向かって左)左手に蓮華らしきものを持つ、僧侶の衣らしきものを着ける、頭髪状のものを両肩に垂らしている尊名は?。
往時の一乗谷には3,000体にのぼる石仏、石塔が分布していたとされ、西山光照寺跡でその面影見ることができた。
「仏像紀行」トップペ−ジへ
「一乗谷朝倉氏遺跡」ペ−ジへ