臼杵石仏

10月中旬、臼杵の空は青く広がり絶好のドライブ日和である。東九州自動車道臼杵ICを出て国道502号を西(野津方面)へ5分程走る、信号を左折すると広々とした駐車場がある。此処は、臼杵市深田の石仏の里である。
 早速、臼杵石仏ボランティアガイドの会のN氏に案内されて、丘陵谷間の凝灰岩に刻まれた石仏群の鑑賞に向かう。

                                      
臼杵石仏の谷を望む
石仏群は谷間を廻って大きく4つのグル−プに分かれている。その数は60余体でそのうち59体が現在国宝に指定されている。 いずれも藤原後期から鎌倉時代にかけて彫られたとのことであり、ほとんどが丸彫りのような肉厚彫りである。

 阿蘇の凝灰岩に刻まれた石仏は、長い年月の間に風化或は剥落などによる傷みが激しかったようである。現在は各グル−プとも保存修理が終わり覆屋も設けられている。
 

                                

古園石仏群


 
古園石仏群 崖を左右20m弱、高さ4m余を刳り龕と成し、臼杵石仏の象徴的な存在である大日如来坐像(像高約3mの丈六仏)を中尊とし、左右に各6躯の坐像(如来、菩薩、明王,天部など像高1m強の半丈六像)を刻んでいる。
 4グル−プ中最大の龕である。







                           

金剛界大日如来坐像
金剛界大日如来坐像(古園石仏群の中尊)像高約300p(丈六仏)
臼杵石仏群の象徴的存在。
 
 破損した宝冠の一部には彩色が残り、唇にも紅がうっすらと残っている。
目尻と目頭がつりあがった三日月型の目、ふっくらとした頬、両肩に天冠帯を垂らし、浅く刻まれた条帛の衣文線などは木彫像の藤原後期の様相を呈す。また、本像の右側(向かって左)から見ると厳しい表情となり、分厚い胸とともに貞観仏を思わせる。

以前は仏頭が落ちて台座の上に置かれていたが(下の写真/石仏寺務所パンフより)、左写真のように修復保存修理がなされている。










山王石仏
山王石仏 古園石仏群の斜め後方にあり。左右約7m高さ4m強の龕を造り、一光三尊形式で3体の如来坐像を刻んでいる。中尊は丈六の如来坐像で脇侍にも半丈六の如来坐像を刻むという珍しい三尊形式である。三尊共に童顔で肉髻部をほとんど表していない。全体的に古園石仏の大日如来に比べ造りに稚拙さが感じられるが、その表情は和やかであり、癒しの仏とも云うべきか。
尚、説明用の立札では、中尊は伝釈迦如来坐像、向かって右脇侍が伝薬師如来坐像、向かって左脇侍が阿弥陀如来坐像となっているが、印相がいずれも施無畏印与願印のようであり見分け困難。


ホキ石仏第2群 阿弥陀三尊像
ホキ(※)石仏第2群 左右約6m、高4m強の龕に阿弥陀三尊像を刻む。
 中尊の阿弥陀如来坐像は像高約300pの丈六仏である。丸顔で切れ長、伏目。納衣を偏袒右肩に着け、衣文は浅く刻まれ、阿弥陀定印を結び、ゆったりと結跏趺坐し、ほぼ丸彫りである。木彫像の定朝様式のようである。
 左脇侍(向かって右)の聖観音立像は、像高約250pの半丈六仏である。
天冠台と唇に朱色が僅かに残っている。やや厳しい顔つきと分厚い胸などは貞観仏を思わせる。
 右脇侍(向かって左)の勢至菩薩立像も像高250p余の半丈六仏である。左脇侍同様に量感豊かな胸の様子など貞観仏の面影がある。



ホキ第1群 如来三尊像


ホキ石仏第1群
 4つの龕で構成されており、藤原期から鎌倉初期の磨崖仏が刻まれている。その中の代表的な如来坐像3体は立札によれば向かって右より、釈迦如来坐像阿弥陀如来坐像、薬師如来坐像となっている(いずれも印相明確でなく判別困難)
像高は3体共に200p前後である。納衣は向かって右と中央の如来坐像が偏袒右肩に着け、左の如来坐像(薬師如来坐像?)は通肩に納衣を着けている。3体ともに引き締まった顔つきで特に中央の如来坐像は墨で描かれた瞳が印象的である。時代は3体共に藤原末期とされている。




このほかにも各群の各々の龕には如来像、菩薩像、天部像、明王像などが刻まれており、1980〜1994年の14年間に亘り保存修復工事が行われ、各磨崖仏群には保存施設として覆屋が設置された。
保存修理完工の翌年1995年6月に59体の磨崖仏が石仏として我が国最初の国宝指定となった。

遠く千年の昔、先人の信仰と情熱に思いを馳せながら石仏の里を後にした。

(※)ホキ…「崖險(がけ)」という意味の地名


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