当初は浄瑠璃寺〜石仏の道〜岩船寺の順で訪れる予定であったが、先に岩船寺を訪れるほうが、石仏の道が下り坂になるので体力的に楽のようであることが分かった。一人旅の気軽さで急遽予定を変更しホテルを発った。
JR大和路線(関西線)加茂駅で下車、東口へ出る。11月中旬の一寸肌寒い朝、バス乗り場の広いロ−タリ−は人影まばらで、岩船寺行きバスの乗客は3〜4人である。バスは途中から細い曲がりくねった山道を15分程走り、岩船寺山門前に着く。
高雄山・岩船寺(京都府木津川市加茂町岩船上ノ門)は京都・木津川市の東南で奈良県との境にある当尾の里に佇む真言律宗の古刹である。
寺伝では、天平元年(729)聖武天皇の発願により行基がこの地に阿弥陀堂を建立したことに始まる。大同元年(806)智泉大徳(空海の甥)が入り、伝法灌頂(密教の儀式)を修し灌頂堂として報恩院を建立。さらに嵯峨天皇が智泉大徳に皇子誕生を祈願させたところ皇子(仁明天皇)誕生。そのことにより弘仁4年(813)堂塔伽藍が整えられ、岩船寺と称するようになった。
最盛期には三十九の坊があったが、承久の変(1221)の兵火によりその大半を焼失。室町時代には三重塔再建、寛永年間(1624〜1643)に入り文了律師による勧進と徳川家康・秀忠の寄進で伽藍再建。鎌倉〜江戸末期まで南都興福寺の末寺であったが、明治42年(1909)に真言律宗西大寺の末寺となり現在に至る。(参考:岩船寺発行絵葉書)
簡素で小さな山門をくぐると正面に朱塗りの三重塔が見える。一呼吸し右手にある本堂内に入り、ご住職の説明に耳を傾け、本尊の阿弥陀如来坐像他諸仏を拝す。
本尊阿弥陀如来坐像(国重文) 像高300p(丈六仏)、一木造り、貞観時代、納衣を偏袒右肩に着け、阿弥陀定印を結び結跏趺坐(吉祥坐)す。光背は二重円光光背である。
密教系のお寺の本尊に阿弥陀如来というと多少違和感をもたれるかもしれないが、密教の金剛界曼荼羅には阿弥陀如来が描かれており、大日如来の働きの現れの一つといわれている。
像容は阿弥陀定印(臍の前で両手を重ね親指と人差し指で輪を作る)を結び結跏趺坐が基本的な姿とされている。光背も浄土教系に多い連弁形の光背(舟形光背)ではなく、二重円光背が多いようです。
尚、本尊を中心に四方を守る四天王立像(東・持国天、南・増長天、西・広目天、北・多聞天)が配されている。
この他、本堂内には、普賢菩薩騎象像(重文)、不動明王立像、薬師如来坐像、十二神将像、釈迦如来坐像、十一面観音立像などの諸尊が安置されている。
拝観を終えて境内にでる。境内の中ほどにある阿字池を挟んで対峙する三重塔(重文)は嘉吉2年(1442)の建立で、方3間、本瓦葺、高さ18mで均整のとれた美しい塔である。
この他,境内には、十三重石塔(鎌倉時代/重 文)、五輪塔(鎌倉時代/重文)、石室(鎌倉時代/重文・・・奥壁に不動明王を刻み前左右に角石柱を立てて寄棟屋根を支える)などの石造物がある。又、山門の前には寺名の由来となった石船(三十九坊の僧が身を清めたとされる石風呂)が置かれている。
一通りの拝観を終え、次のスケジュ−ル「石仏の道」へと足を運ぶ。
(尚、本堂内写真撮影禁止です。掲載の仏像写真は岩船寺ご住職の了解を得て、岩船寺発行の絵葉書より転載したものです。)
石仏の道へ
当尾の「石仏の道」とは,木津川市の東南部、当尾地区には平安時代から修行僧の庵や行場があった、特に岩船寺や浄瑠璃寺界隈は鎌倉時代後期から室町時代にかけて多くの石仏が造立され、当時の行き交う人々の道しるべとなっていた。
この度は岩船寺から浄瑠璃寺まで約2km弱の距離を道筋の石仏を辿りながら歩いた。通常に歩けば30分程度の道のりであるが、案内標識と地図を頼りにスロ−ペ−スで廻ったので1時間弱を要した。
山門前のバス停から南西方向へ進む、50mほど歩くと石仏の道への道し るべがある。
道標にしたがって歩く
「不動明王立像」(一願不動・岩船寺奥院不動)。
巨大な岩に彫られた磨崖仏で鎌倉時代の造立とのこと。
道を外れた崖下にある。立札有り、手すりの付いた自然石の階段 が付いている
「わらい仏」 観音菩薩(向って右)、勢至菩薩(向って左)の両脇 侍 を従えた阿弥陀三尊像である。
三尊とも顔に笑みを浮かべた穏やかな表情の石仏で当尾の石 仏を代表するものと云われている。
永仁7年(1299)の銘文が刻まれているとのこと。
「眠り地蔵(石仏)」
土の布団で眠っている,いつの時代から眠っているのかな。
わらい仏の左下方にあり、
「阿弥陀・地蔵磨崖仏」 一つの岩の一面に阿弥陀如来坐像、も うひとつの面(向って左)に地蔵菩薩立像が刻まれている。阿弥 陀如来の横には線刻の燈籠が刻まれ火袋が掘り込まれ、灯明が 供えられるようになっている。
鎌倉後期の康永2年(1343)の銘文が刻まれているとのこと。
「あたご灯篭」
火伏せの神様愛宕神社参道のユニ−クな形の献燈籠
「藪の中三仏磨崖像」
一つの岩に阿弥陀如来坐像、もう一つの岩に地蔵菩薩立像と観 音菩薩立像が刻まれている。弘長2年(1262)の銘文が刻まれて いるとのこと。
岩船寺から浄瑠璃寺まで石仏を辿ったところで丁度昼頃となった。
浄瑠璃寺参道の入り口付近、小高い丘にあるそば処「吉祥庵」、店は小さいが中々趣があり、さりげなく飾られた花は土壁によくマッチしていて主のセンスよさが感じられた。 ふと横を見ると焼き物が飾られており、尋ねると「黒楽」と「信楽」とのこと。主の本職は陶芸家であり、余技が高じて店を構えたとのことであった。落ち着いた雰囲気で食べたそばの味はまた格別である。
当尾石仏はガイド地図によれば全体で36体ほど点在している。今回はスケジュ−ルの都合ですべてを辿れなかったが、いつか機会があれば辿ってみたいものである。
次のスケジュ−ル浄瑠璃寺へと向う。
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