潮音山 向雲寺


 10月朔日、落合郷土史研究会(※)の方々に同行させていただき、芸予諸島の水軍遺跡を廻った。大山祇神社をはじめ関係する寺院、城址、村上水軍博物館など探訪・見学して、戦国時代の瀬戸内を舞台に活躍した水軍のロマンを感じ、又、眼前に広がる瀬戸内の多島美は一枚の絵画を見るような思いがした。

 
探訪先の一つで向雲寺を訪れた際中国地区では普段あまり拝観することが少ない仏様が本尊として祀られていましたので、探訪の趣旨とは若干異なりますが当ペ−ジに掲載します。

本堂 
潮音山 向雲寺(今治市上浦町瀬戸)は曹洞宗の寺です。創建は江戸初期の寛文元年(1661)で、延享4年(1747)通天享玄により開山される。明和8年(1771)諸堂全焼の災厄にあうが、寛政年間(1789〜1800)に民家を買い求め再建。天保2年(1831)〜慶応元年(1865)のの間住職を務めた覚海大圓和尚によって伽藍整備されたとされている。
 
尚、現在の伽藍は、昭和4年(1929)13世虎岩吟翁和尚により建立されたもの。その後平成18年(2006)本堂屋根改修し現在に至る。

(左写真は本堂、本堂屋根改修工事落慶記念冊子より)





 
本尊・千手観音(清水型千手観音)

 

 本尊・千手観世音菩薩(正式には千手千眼観自在菩薩) 当寺の千手観音は通常の姿とは異なり、左右の一番上の脇手を頭上高くかかげ如来の化仏をいただくめずらしい姿をしている。

 この姿は、京都・清水寺の本尊・十一面千手観音立像(お前立ち)と同じ姿で清水型千手観音と呼ばれているものである。

 
この姿の観音像は、全国各地で見られるが、瀬戸内にも清水観音信仰の波及があったことを示すものと思う、その意味では貴重なものである。 尚本像は、像高40p前後の厨子入
りの像であるがバランスのとれた観音
像である。

 
 
                        (クリックで拡大してください)

               

十一面観音立像


この十一面観音立像(写真左)は、現・住職の奥様が豊橋(愛知県)から嫁ぐに際し持参された観音像との由(奥様の話)。 左右対称形に垂らされた天衣、左右相称的な衣の皺など一見古風(白鳳時代)の様相を呈すが、お寺の話によれば、おそらく幕末期以降の作で古風を模したものと思われる。






尚、当寺の境内には、さつま芋の普及に努め、享保の飢饉(※2)から島民を救ったと言われている下見吉十郎を祀った甘藷地蔵(いも地蔵)がある。(愛媛県史跡)

向雲寺の接待で出された芋風味の菓子「芋吉」を味わいながら寺を後にした。



(※)主として中国地区の郷土史、文化財、史跡などを探訪・研究・活動をしている多士済々のグル−プ。
(※2)享保17年(1732)夏、冷夏と害虫のため西日本地区、とりわけ瀬戸内海沿岸一帯は凶作に見舞われた。


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