弘法大師空海誕生所
善 通 寺


大同二年(807)真言宗開祖空海の父である佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)(法名善通)を開基として創建された。伽藍は東院(創建地)と西院(空海誕生地)に分かれている。 善通寺の文献上の初見は『東寺百合文書』に収められた寛仁二年(1018)の『讃岐国善通寺司解』である。ここで善通寺は、東寺の末寺として登場し、空海の先祖による創建とする伝えが存在したことがわかる。境内から白鳳から奈良時代に遡る古瓦が出土しており、善通寺は佐伯一族の氏寺として創建されたのではないかと推定されている。

鎌倉時代に入り、天皇や上皇の庇護のもと隆盛期を迎え、建長元年(1249)誕生院が建立され、東の伽藍、西の誕生院という現在の形式ができた。暦応三年(1340)塔堂焼失したが、中興の祖・宥範が22年の歳月をかけて修理再建した。永禄元年(1558)三好実休の兵火で伽藍ことごとく焼失せるも、生駒、松平、山崎、京極など歴代領主の外護により寺勢回復をした。

東院

南大門
善通寺の正門、永禄元年(1558)三好、香川両氏の兵火で焼失したままになっていたが、明治37年(1904)に再建された。

本瓦葺、四脚門形式の平唐門、間口7.5m、左右袖塀付
五重塔(国登録有形文化財)
創建以来4代目の塔である。弘化二年(1845)より再建始まり明治三十五年(1902)に完成。塔高43m(礎石上~相輪頂上)で国内4番目の高さ。

総欅造、三間5重、本瓦葺、心柱は5層目からの「懸垂工法」を採用。
2層~5層は床板を張り登れる構造になっている。
大楠
東院には2本の大楠がある。左の写真は南大門を入ってすぐ左脇のもの。
幹回り11m、樹高36m、空海誕生時にはすでに植えられていたと言われているから、樹齢は少なくとも1,200以上と思われる。
香川県指定天然記念物
金堂(国重文)
元禄十二年(1699)の再建、入母屋造、本瓦葺、一重裳階付、桁行3間、梁間3間の身舎周囲に1間の裳階を巡らす。
桟唐戸、花頭窓、波連子欄間、海老虹梁、身舎は扇垂木など禅宗様であるが、天井は格天井、裳階は平行垂木となっていて折衷様式である。
鐘楼(国登録有形文化財)
江戸末期の再建。桁行3間、梁間2間、入母屋造、本瓦葺、初層袴腰、上層擬宝珠勾欄付縁、元は鐘楼門であった痕跡あり。
三帝御廟(市重文)
大楠の西側の一角に後嵯峨天皇(88代)、亀山天皇(90代)、後宇多天皇(91代)の爪髪を収めた宝塔、五輪塔、宝篋印塔がある。
三帝は親、子、孫であり、善通寺の興隆に大きな援助をした。
総高は、宝篋印塔:154㎝、宝塔:168.5㎝、五輪塔:174㎝。

西院

御影堂(登録有形文化財)
空海の誕生所とされている。現在の建物は昭和11年改築の建物。十字形に入母屋造が交差し、正面に3間の向拝が付く。
外陣、内陣、中殿、奥殿の4棟から成っている。中殿は空海の母・玉寄御前の館跡、奥殿は空海が誕生した所とされている。
真言密教の霊蹟で内陣上部に「弘法」の大きな扁額が掛かる。地下には暗闇通路100mの戒壇巡りがある。
御影堂前廻廊(県登録有形文化財)
仁王門から御影堂まで30m程の廻廊で結ばれている。
桁行9間、梁間1間の吹き放ち。礎石に几帳面取りの柱、柱上に平三斗を組む。梁間中備の龍の彫刻、柱の獏、獅子の彫刻が素晴らしい。
仁王門(登録有形文化財)
明治二十二年再建、3間1戸の八脚門、入母屋造、本瓦葺、棟に鯱を上げる。大斗肘木、2軒・繁垂木、正面左右に金剛力士像を安置する。

金剛力士像:像高194㎝(阿形)、189㎝(吽形)、近年鎌倉末期の応安3年の作であることが判明した。

上記以外に東院には、釈迦堂、中門、赤門、経蔵、など多数の伽藍がある。また、西院には聖霊殿、地蔵堂、寝殿、勅使門、親鸞堂、宝物館などが建立されている。尚、宝物館には、「一字一仏法華経」(国宝・複製)、金銅錫杖頭(国宝・写真パネル)、地蔵菩薩立像(貞観時代・国重要文化財)、吉祥天立像(貞観時代・国重要文化財)毘沙門天立像(県指定文化財)ほか多数の仏像が展示されている。(展示物の入れ替えあり ) 151119



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