法観寺(八坂の塔)


京都・東山一帯のシンボルタワーとしてその景観に欠かすことが出来ないのが法観寺の八坂の塔である。法観寺は臨済宗建仁寺派に属し、通称「八坂の塔」とよばれている。
 寺伝によれば、聖徳太子が夢のお告げで五重塔を建立し、仏舎利三粒を収め法観寺と号したとされている(崇峻天皇2年・589)。

 また、創建に関しては、渡来系豪族・八坂氏が創建に関わったと推定されている(天武天皇7年・678)。 いずれにしても創建年代は大変古く、飛鳥時代~白鳳時代まで遡ることは確かの様である。その後、長い年月を経る間に何度か焼亡、再建を繰り返した。現在の塔は永享8年(1436)に焼失の後、同12年(1440)室町幕府6代将軍足利義教により再建され現在に至っている。 

現在の法観寺伽藍は五重塔(国重要文化財)以外に太子堂、薬師堂の2棟(共に小仏堂)だけである。近隣の清水寺、高台寺などへの人出は多いが、法観寺の境内は狭く、外から見ることが出来る所為か、境内に入って拝観する人は少ないのでゆっくり拝観することが出来る。

また、八坂の塔は、一般の人が塔内部まで(但し2層まで)入ることが出来る日本で唯一の重要文化財指定の五重塔である。但し公開は不定期であり、事前に電話などで確認したほうがよい。

法観寺・五重塔(八坂の塔)
本尊・五智如来座像(大日・釈迦・阿閦・宝生・阿弥陀)
創建・飛鳥時代・崇峻天皇2年(・589)
開基・伝・聖徳太子
現塔・室町中期・永享12年(1440)の再建・重要文化財
三間五重塔、純和様建築
塔高・46m(現地説明書による)、方・約6m
逓減率・0.703
本瓦葺、

京都市内に現存する4基の五重塔(東寺、法観寺、醍醐寺、仁和寺、いずれも国宝・重要文化財、但し、東寺宝物館の五重小塔を除く、)の中で創建が最古(崇峻天皇2年・589)の塔である。
室町中期の現塔は逓減率0.7、すらりとした印象を与えるが実に堂々とした塔である。

尚、現塔の塔高は、資料によって49m、38.8m、36.4mと異なった高さになっているが、如何なものであろうか?、

現塔は創建時の様式に倣ったものか石積みの基壇上に建っている。
太子堂
寛文3年(1663)門前の町人が寄進したとされている。
3間の正面、2間の側面の宝形造、1間向拝付。
堂内には聖徳太子3歳像、16歳像が祀られている。
薬師堂
太子堂と並んで建っている。太子堂と同様の正面3間と側面2間の宝形造である。建築時期も太子堂と同じか。
堂内に薬師如来立像、日光・月光の両菩薩、十二神将像が祀られている。
五重塔内に祀られている五智如来
   
   

五智如来は密教で大日如来の五つの智慧を表す五仏に当てはめたものとされており、これらを『金剛頂経』で説く大日、阿閦、宝生、阿弥陀、不空成就の各如来にあてはめ、金剛界五仏を五智如来と呼んでいる。

八坂の塔、初層内に祀られている五智如来の配置は、西方に大日如来、東方に阿閦如来、南方に宝生如来、北方に不空成就如来が配され、一段上方の中心に阿弥陀如来が配されていた、通常の配置とことなっている。また、四方の柱に付けられている標識の尊名と配されている尊像名が異なっているようである。

通常(「金剛界曼荼羅」での尊像の位置)は、中央・大日如来、東・阿閦如来、南・宝生如来、西・阿弥陀如来、北・不空成就如来が配されている。

尚、このページ冒頭の写真は初層内部の壁画です。   170522




古・名刹巡歴目次へ戻る