橘寺


                        【川原寺跡から望んだ橘寺全景】

川原寺跡の真南、県道155号を挟んで200m弱のところ仏頭山を背にして建っていて、白壁の築地塀が美しいお寺である。

寺伝では、聖徳太子の生まれた所で、当時此処に橘の宮という欽明天皇の別宮があった。推古天皇14年(606)天皇の命により聖徳太子が御殿を改造して建てたのが橘樹寺(たちばなのきでら)で聖徳太子建立の七大寺の一つに数えられている。【参考:橘寺リ-フレット】(史実は創建年代は不明で『日本書紀』天武天皇九年(680)四月条に「橘寺尼房失火、以焚十房」とある(当時は尼寺だったらしい)のが文献上の所見とされている【Wikipedia】

創建当時は東西八丁(870m)南北六丁(650m)の寺域に金堂、講堂、五重塔を始め66棟の堂宇が建っていた。前述の680年の焼失、久安4年(1148)雷火により五重塔焼失(文治年間に五重塔再建)、永正3年(1506)多武峯の兵によって伽藍の多くが焼かれて全くその面影を失くした。

現在の伽藍は江戸末期の元治元年(1864)に再建したものである。かっては法相宗であったが、江戸中期より天台宗に改宗、比叡山延暦寺の直末で仏頭山上宮皇院橘寺、別名菩提寺共言われている。【リーフレット】

本堂(太子堂)
 元治元年(1864)に再建された建物、この位 置に創建当時の講堂があったとされている。
 本尊として聖徳太子坐像が安置されている。

 右手前、馬の銅像は聖徳太子の愛馬「黒駒」
 
太子信仰では、達磨大師の化身と伝えられ、空を駆けたといわれている。


(朝から愚図ついた空模様であったが、偶々雨足が強くなってきた)

 
観音堂
 安永6年(1777)に本堂として建立されたが、元治元年(1864)現本堂が建った際に現在地に移築された。
 
 堂内には、六臂如意輪観音坐像が安置されている。

 
蓮華塚
 現地説明札によれば、聖徳太子が「勝鬘経( しょうまんきょう)」(仏教に於ける大乗経典の一つ)講讃の折、降った蓮の華を埋めた所で、大化改新で一畝(約 100㎡)の基準にしたもので畝割塚ともいう。
 

二面石
 明日香村は飛鳥時代の石造物(亀石、猿 石,石人像、酒船石、他)有名であるが、橘寺境内(本堂の左側)にも、二面石と呼ばれる飛鳥時代の石造物がある。
善相
 向かって右側、悪相と背中あわせになている。
 
悪相
 向かって左側、かなり磨滅しているが、少し離れて見ると判る。
 
 人の心の善悪二面を表しているといわれているが、なぜ作られたのかは本当のところはよく解っていない。
聖倉殿(宝物館)
 訪れた時は丁度、春の公開時期であったので、貴重な宝物が拝観できた。

・日羅立像(太子の師)…貞観時代、一木造、像高145㎝の僧形像。大腿部に翻波式衣文、右手に施無畏、左手与願印を結ぶ。(
重文 )
・地蔵菩薩立像…藤原時代、一木造、像高 152㎝、右手に錫杖、左手に宝珠を持つ。

・この他に、[だ太鼓]の縁(鎌倉時代、重文、室町前期の石灯籠(橘寺型と云われる)(重文)などが保管されている。

(館内撮影禁止のため、写真撮れず)
 

140430






古・名刹巡歴に戻る