石像寺(釘抜地蔵)



 釘抜地蔵の通称で知られる石像寺(しゃくぞうじ)は、千本通り東側にひっそりと建っている小ぢんまりとした寺で、家隆山光明遍照院石像寺(かりゅうざんこうみょうへんしょういんしゃくぞうじ)と称する浄土宗の寺である。

寺伝によれば、弘仁10年(819)空海が創建したという。
当初は、真言宗の寺院であったが、鎌倉時代に俊乗坊重源による再興により、浄土宗に改宗された。慶長19年(1614)西蓮社厳誉上人が中興とされている。
本尊は空海が唐から持ち帰った石に地蔵菩薩を刻み、この地蔵は苦しみを抜き取ると言われたことから苦抜地蔵(くぬきじぞう)と呼ばれ、それが訛って釘抜地蔵と呼ばれるようになったとのことである。
 また一説には病気に苦しむ商人の夢枕に地蔵菩薩が現れ、手に刺さっていた2本の恨みの釘を抜いて救ったことから、釘抜地蔵と呼ばれるようになったとも伝える。(門前の説明板より)
山門を入ると、本堂の正面に巨大なブロンズ製の釘抜(やっとこ)のモニュメントが奉納されている。
本堂の外壁には、信者から奉納された実物の釘抜と八寸釘をを張り付けた絵馬(?)がびっしりと貼られている。
本堂背後の堂(祠)には、石仏阿弥陀三尊(重文)が安置されている。
中尊の阿弥陀如来坐像は、説明書きによれば、鎌倉時代初期の作である。像高120㎝、元仁元年(1224)伊勢権守佐伯朝臣為家によって造られ、翌年開眼供養がなされたとの銘がある。製造年が明らかな鎌倉初期の石造仏として貴重なものである。三尊いずれも花崗岩製。

端正な目鼻立ちで、納衣を偏袒右肩に着け、阿弥陀定印を結び蓮華座に結跏趺坐している大変バランスよい坐像である。
2重円光の光背には、阿弥陀如来の種子(キリ-ク)が11個刻まれている。
三尊の右脇侍(向かって左)・石造勢至菩薩立像は、像高100㎝。
宝冠を冠り、天衣を膝前で大きく湾曲させ、合掌して立つ。
光背に勢至菩薩の種子(サク)を刻む。
三尊の左脇侍(向かって右)・聖観音立像、像高100㎝、。
前面に阿弥陀の化仏をつけた宝冠を冠り、左手に蕾の蓮華を持ち、右手は腕に天衣を垂らし掌を胸前で蓮華に添える。光背に聖観音の種子(サ)を刻む。
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