倉吉・白壁土蔵群~
     「里見八犬伝」


















打吹山山麓を流れる玉川沿いの白壁土蔵群は、江戸~明治期に建てられたものが多く当時の面影を偲ぶことができ、玉川に架けられた石橋や赤い瓦に白い漆喰の壁は、しっくりと落ち着いた風情醸し出している。そうしてこれらは伝統的建築物群保存地区として選定されている。
赤茶色の釉が施された耐寒性の石州瓦で景観美を誇る赤瓦1号館。
大正時代に建てられた赤瓦1号館は、醤油の蔵を改造したものである。
天井の梁と束柱を組み合わせた重層の小屋組みは見事。
玉川の南岸は、立ち並ぶ土蔵の裏側である。
切り石積み石垣の上に、杉焼き板張りの腰回り、上方は漆喰の白壁で統一されている。
土蔵の戸口には、それぞれ一枚石の石橋が架けられている。

これらの白壁群から東へ徒歩2~3分のところに、曲亭馬琴(滝沢馬琴)によって著された江戸時代の代表的戯作文学・長編伝奇小説「南総里見八犬伝」のモデルとされている里見安房守忠義公の近臣8名の墓所があった。
白壁土蔵群の東方にある大岳院(曹洞宗)は、『南総里見八犬伝』のモデルとも云われている里見安房守忠義の近臣8名の墓所がある。
里見家墓所 房州館山10代城主里見安房守忠義は慶長19年(1614)倉吉に転封され、元和8年(1622)29歳で倉吉で逝去した。その時、8名の近臣が殉死し、忠義公とともに当院で葬送された。この時当院で授けた忠義公の法名を「雲晴院殿心叟凉大居士」といい殉死した8名の法名も全て「賢」字を付けたので彼らは「八賢士」と呼ばれた。これが後に滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』のモデルではないかと云われている。(説明板要約)
大岳院境内の標柱に「里見安房守香華院」「大江磐代君(代119代光格天皇の生母)霊廟所」とあった。



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