四天王寺
           弥勒菩薩半跏像、他



四天王寺は、推古天皇元年(593)建立の我が国最古の本格的仏教寺院である。創建以来度重なる災害に遭い、特に先の太平洋戦争では伽藍の殆んどと幾多の貴重な文化財を失うことになった。しかし、その都度、寺院と関係者の不屈の努力と精神で立ち上がり、今なお多数の国宝、重文級文化財が保管、安置されている。(四天王寺の歴史、伽藍はhttp://masayama.justhpbs.jp/kojijunnrekimokuji.htmlのサイトをご覧ください)
                                      

















宝物館
には、1300余年に亘って保存されてきたもの、その後蒐集されたものなど、国宝、重要文化財、それに準ずる寺宝約3,000点が保存されている。毎年正月、春、秋に寺宝が公開されており、過日、春の公開を拝観した。
南無仏太子像 木造、像高68.0㎝、南北朝時代、頭部が比較的大きく(4等身弱?)、鼻筋通った聡明な顔立ちである。上半身ふっくらとしている。

宝物館資料によれば、聖徳太子が2才の時、東に向かい合掌して「南無仏」と唱えた。という逸話をもとに造られた像であるとのこと。

菩薩半跏像 銅造、像高22.5㎝、白鳳時代、国重文。
右手指先を右頬に添え、右足首を左腿に乗せ、左足を踏み下げる半跏思惟像(弥勒菩薩?)である。右頬に添えたふっくらとした手の甲、指は幼児形であり、白鳳時代の特徴。

宝物館資料によれば、この像は太子が四天王寺を建てた時、本尊を造る際の試作品(試みの観音)と伝えられ秘仏とされている。







木造阿弥陀三尊像
 詳細法量不明なるも、中尊(阿弥陀)像高50~60㎝、一木造(制作時代からの推定)、螺髪は欠失、厚みのある胸部などは、弘仁・貞観時代の様相を表す。納衣を通肩に着け施無畏印、与願印を結ぶ。
聖観音(左脇侍)、勢至菩薩(右脇侍)ともに髷を高く結い上げ、露わにした上半身は量感豊かである。両脇侍共に裙を着け、片足を後ろに蹴りあげる、ちょっと珍しい立像である。

宝物館資料によれば、中尊の阿弥陀如来は元は薬師如来であった可能性があるとのこと。(中尊と脇侍は一具のものではない?)




このペ-ジの仏像写真は、四天王寺の了解を得て、宝物館資料から転載したものです。四天王寺の好意に深謝。



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