関・地蔵院(亀山市関町)


【関地蔵院古図(地蔵院パンフレットより)】

関の地蔵に振袖着せて奈良の大仏婿にとる」と、はやり歌に歌われ、旅人、地域住民の厚い信仰を集めた関地蔵院は、関宿の西方に位置し、九関山法蔵寺地蔵院と称し、通常は院号の地蔵院(関地蔵院)と、古くから呼ばれ親しまれてきた。
 
 その歴史は古く、創建は詳らかではないが、天平13年(741)奈良東大寺の僧行基が、諸国に流行した天然痘から人々を救うため、関の地に地蔵菩薩を安置したと伝えられている。
(地蔵院パンフレットより)


本堂(国重要文化財)
開基は古代まで遡る古刹で関の地蔵さんとして親しまれている。現本堂は元禄年間(1688~1703)に出開帳や地元の寄付などで建設されたとのこと。

・建設年代:元禄13年(1700)
・構造、形式:桁行5間、梁間4間、一重寄棟造、1間向拝 付き、本瓦葺き、錣(しころ)屋根。
                   (参考:国指定文化財データベース)
本尊地蔵菩薩坐像(秘仏)
僧行基(668~749)が当時全国に流行した天然痘から人々を救うために当地に地蔵菩薩を安置したと伝えられており、地蔵院パンフレットによれば、「わが国最古の地蔵菩薩である」とされている。
(パンフレット参考)

【右写真は秘仏であり、撮影禁止、住職了解のもとに。パンフレットから転写したもの】
本堂内天井絵(撮影禁止、住職了解のもとにパンフレットからの転写)
 天井には、仏典を題材に174枚の天井絵(江戸時代前期)が描かれている。
作者は、京狩野家の4代狩野永敬(1662~1702)。

京狩野とは、豊臣氏滅亡後、狩野派の殆どが、江戸に下ったことに対して京都に残ったため、京狩野と呼ばれた一派。安土桃山時代から明治期まで活躍した。

(参考:住職の説明要約、Wikipedia)
行在所(あんざいしょ)
天皇の行幸の時の仮宮(かりみや)。
行宮(あんぐう)が仮宮そのものを指すのに対し、行在所は抽象的に天皇の所在を指した、後に同義語に用いられた。

地蔵院パンフレットによれば、諸国の大名。公卿も数多く参詣し、旅の疲れを癒した書院であり、その座所は一段高くなっていて、そこからは見事な襖絵を鑑賞することができるとあります。
また、明治11年(1878)と13年(1880)にわたって、明治天皇が行幸されたとあります。

(左写真はパンフレットより転写)
鐘楼(国重要文化財)
時代:江戸前期・寛永21年(1643)
構造・形式:桁行1間、梁間1間、一重、本瓦葺き。

意匠が優れ、愛染堂とともに伽藍を構築する建物である。

(参考:国指定文化財データベース)
愛染堂(国重要文化財)
時代:江戸前期・寛永7年(1630)
構造・形式:桁行3間、梁間3間、一重、寄棟造、一間向     拝付き、本瓦葺き。

本堂の建立伴い、地蔵尊も本堂へ移り、その後本尊として愛染明王坐像が祀られた。

(参考:国指定文化財データベース、地蔵院パンフレット)
11月中旬に訪れた。当日JR関西線柘植~亀山間不通(当日はバス代行運転)で、約束の時間に遅れて訪れたにも拘らず、住職さんに快く迎えていただき、ご案内、説明していただいた。住職さんは地域振興発展のための熱意が感じられる方でした。拝観を済ませ帰路に着こうとしたとき、態々住職さん自らの運転で最寄りの駅まで送っていただき大変な感激でした。(171129)



古・名刹巡歴j巡歴目次へ戻る