六道珍皇寺
六道珍皇寺(ろくどうちんこうじ、ろくどうちんのうじ)は、建仁寺の塔頭である。所在地である東山区大和大路通四条下ル4丁目小松町の辺りは、平安京の葬送地とされている鳥部野(鳥辺野)の入口にあたり、「六道の辻」と呼ばれ、この世とあの世の境(東側はあの世、西側がこの世)とされていた。
寺の創建は貞和年間(834~848)と伝えられ、開基は、当地の豪族山代淡海説、空海説、小野篁(おののたかむら)説等がある、山号は大椿山、 珍皇寺の寺号は「ちんのうじ」ではなく「ちんこうじ」と読まれていたと考えられているとのことです。
鎌倉時代まで東寺の末寺ととして多くの伽藍を有していたが、南北朝時代以降寺領の多くが建仁寺の所有となり更には、中世の戦乱で荒廃し、中世後期の詳細は詳らかではない。貞治3年(1364)建仁寺の僧・聞渓良聰(もんけいりょうそう)が再興し、臨済宗建仁寺派に属する寺となる。明治に入り建仁寺に併合された時期もあったが、明治43年(1910)に独立した。
山門と「六道の辻」碑 山門の前に「六道の辻」と刻まれた立派な石碑が据えられている。この辺りに六道の辻があったとされている。 「六道」とは仏教の説く死後の世界で、即ち地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上界の六つの世界のことで、衆生はいずれこの世界のどれかに行くと云われている。 この辺り(松原通り東大路西入ル、門前一帯か?)鳥辺野に続く道、即ち六道の世界へ赴く辻(処)あったとされている。 |
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本堂 山門を入ると境内は小さいながらまとまっている。 正面に本堂(本尊・薬師如来坐像)があり、その前に三界万霊供養塔(万霊の供養や無縁仏の供養をするもの)が建てられている。 本堂裏の庭園に「篁(たかむら)冥途通いの井戸」がある。 |
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伝説 「小野篁冥途通いの井戸」 夜間に小野篁が冥府の閻魔大王の下で裁判の補佐役をするため冥府通いの往路に使用したと伝わる井戸(本堂裏庭園の奥)がある。 (特別公開日、と8月7日~10日の間見学可能) |
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伝説 「黄泉(よみ)がえりの井戸」 平成23年(2011)隣接する民有地(旧境内)から発見された。冥府よりの帰路に使用したとされる井戸。(特別公開日と8月7日~10日の間見学可能) (篁も昼間は、朝廷の官吏としての仕事があり、現世に戻る必要がある、やはり帰路は必要であった。) (場所は、庭園の更に奥まったとろ⇒の案内あり) |
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鐘楼(迎え鐘) この鐘は別名「迎え鐘」と呼ばれている。毎年お盆の8月7日~10日に六道まいりが行われ、この鐘を就くと、先祖の霊をこの世に迎えることができると云われている。 鐘楼は、寛文3年(1663)の建立、近年約100年振りに大改修が行われたとのこと。梵鐘は外から見ることは出来ず、鐘楼正面・基壇から約60㎝の高さに引き綱が出ており、この綱を引いて鐘を突く仕掛けになっている。 |
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「賽の河原」(地蔵堂) 本堂に向かって左手にある、大小の石地蔵が並んでいる一角がある。六道まいりの際、水塔婆へ水向け供養する場所とのことです。 地下に祀るものを含めると500体近くの石地蔵が安置されているそうです。 |
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薬師堂 薬師如来坐像(国重文)が安置されている。 通常は閉じられているが、8月7日~10日と特別公開の際は扉が開かれる。 |
六道珍皇寺の主要伽藍はj上記の他に、焔魔堂・篁堂があり、閻魔大王や小野篁像などが安置されている。通常、扉が閉じられているが,格子の一部がのぞき窓になっておりそこから拝観できる。薬師堂と同様8月7日~10日と特別公開日は扉が開かれる。(参考:Wikipedia・リーフレット・境内の看板) (180724)
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