丹生山神宮寺



 地元(三重県多気郡多気町丹生)では、「丹生大師」(弘法大師空海)と呼ばれている真言宗の古刹です。伝承によれば、宝亀5年(774)光仁天皇勅願により、勤操大徳(ごんそうだいとく)(754~827、奈良時代後期~平安時代初期にかけての三論宗の僧、大和国・高市郡で誕生、空海の師と言われ、その生涯に大きな影響を与えたとされている)が開山と伝わっている。 
 弘仁6年(815)
空海により七堂伽藍が完成。その後、伽藍は天正年間の度重なる兵火で堂宇は、尽く焼失したらしい。現在の堂宇は貞享元年(1684)観音堂の再建を始めとして、その殆どは江戸時代の再建です。
 高野山が女人禁制だったのに対し、女性も参詣が出来たので「女人高野」とも呼ばれた。
(奈良・宇陀市の室生寺も「女人高野」と呼ばれ有名)
 
本堂(観音堂)
 
延宝年間(1673~1681)の建立とされている。
桁行4間、梁間3間、入母屋造、本瓦葺き、妻入り、南向き。破風に鰭付き三花懸魚を付ける。妻側正面に桟唐戸と1間の向拝付き。
 
境内の説明版によれば、この堂は近世初期の真言宗様式が見られるとのことです。

大師堂(御影堂)
登廊に沿って石段が築かれており、上がると正面に大師堂が通常なれば静寂であろうと思われる環境(工事中足場が多少気になった)のなかに建っている。
天正18年(1590)の建立、現在の建物は貞享年間(1684~1688)ごろ再建されている由。
(境内説明版)
 

桁行3間、梁間3間、桟瓦葺の宝形造で銅製の宝珠、露盤を付ける。南向きで主面に1間向拝付き。
護摩堂

江戸中期の建立、桁行3間、梁間3間、入母屋造、本瓦葺き、妻入りの小堂です。破風に鰭付き蕪懸魚を付ける。
 
 堂前面に土庇(地面に柱を立てて、深く張り出させた庇)を設けている、土庇柱は両端に各一本で礎盤が付いている。

大師堂前に据えられた銅製大香炉

胴部に十字羯磨(かつま)(三鈷杵が十字に組み合わされた密教法具で、悪神の障難を防ぎ祈願を成就させるとされている)が鋳出しされている。

仁王門(楼門)


旧・東熊野街道、或は和歌山別街道と呼ばれる伊勢市と多気郡多気町を結ぶ主要地方道(三重県道13号伊勢多気線)の道路沿いに建っている。
正徳3年(1713)~享保8年(1723)の間の建立とされている。
 
 形式は3間1戸の楼門、入母屋造、本瓦葺、柱は円柱が多用されている。組物は初層、上層共に三手先。上層周囲に擬宝珠高欄を巡らし、西向きに建っている。軒が深く雄大な姿です。

 初層両脇間正面側に金剛力士(阿・吽)、背面に持国天、多聞天を祀る(いずれも江戸時代に制作されたもの)。

 

登廊

白壁の登廊です。仁王門を入り左折すると正面ににある。(石段を上がると正面に大師堂がある)

 外敵を防ぐ目的で設置されたものとのことで、三重県下で唯一の由



丹生神社



 丹生山神宮寺に隣接して建立されている。境内の説明版による由来によれば「祭神 埴山姫命・水波賣命ほか十六柱 延喜式の神名帳、飯高郡9座に列せられた由緒ある神社で、継体天皇16年(523)に鎮座したという。聖武天皇が東大寺大仏殿建立の際、水銀の産出をこの神に祈ると忽ち水銀が湧出したので、丹生明神と名付けた。~中略~中世、伊勢の国司北畠氏が毎年参拝し、造営などの奉仕をした。その後松坂城主古田大善より慶長16年(1611)高30石を寄進するとの寄付状が交付された。~中略~元和5年(1619)紀州藩主徳川頼惟宣(筆者注:紀州徳川家初代徳川頼信〈在位元和5年~寛文7年)のことか)社領30石を認められた。以後の藩主は自ら参向(高位の人のところへ出向くこと)して国家安穏、五穀豊穣を願い金銀等を寄進した。~中略~明治41年(1908)境内社10数社を合祀した。」とある。(神宮寺境内設置説明版より)

神宮寺と神社の関係
 
 神宮寺は神仏習合思想の考えで、神社に付属して建てられた寺院です。平安時代に神仏習合思想が生まれ、寺院の中で仏(本地)の仮の姿である神(権現、或は垂迹)を祀る神社が営まれるようになった。
 神宮寺と神社の関係は様々で、どちらが主体だったかは言えないが、神祇の為の寺院という神宮寺本来の役割を考えれば、神社なしに神宮寺は考えられない。逆に寺院の為の神社であれば、鎮守社という、この場合は寺院あっての神社である。 
(参考:Wikipedia要約)
 では、丹生神社と丹生山神宮寺の場合はどうであろうか、丹生神社の由緒などからすれば、恐らく丹生神社があっての丹生山神宮寺であったと思われる。しかし実際には、丹生山神宮寺が別当として神社を管理していたと思われる(下線部筆者の推量)

 丹生地区は古代、水銀の産地として知られ、当時日本で使用された水銀の殆どが丹生で採掘されたものであったとされている。中世には、日本国唯一の水銀座(同業者組合)が存在し、全国から商人、鉱夫が集まり繫栄した。また、近世になると丹生の町は伊勢商人発祥の地として丹生神宮寺の門前町、宿場町として繁栄した。水銀鉱山が水銀公害が社会問題化し、鉱山が閉鎖された現在は丹生山神宮寺、丹生神社を中心とした観光開発に力をいれているようです。161009
 








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