伏見稲荷大社
JR奈良線、稲荷駅のすぐ前が、表参道である、一番鳥居と狛犬の代わりの狐が迎えてくれる。
伏見稲荷大社は、全国に約4万社あるとされている稲荷神社の総本社である。主祭神は稲荷大神。神社本庁に属せず、単立神社。稲荷山の麓に本殿があり、稲荷山全体が神域である。
楼門は
天正17年(1589)の建立。堂々たる構えで、いかにも桃山風である。重層門、桧皮葺、入母屋造、上層に高欄を巡らせ、下層には左大臣、右大臣の随身が控える。
本殿(室町時代1494)五間社流造、身舎:桁行五間・梁間二間、庇前室五間、桧皮葺。 応仁の乱で焼失した後明応3年(1494)の再建。
千本鳥居:本殿の背後にみっしり並んで建っており壮観であるが、そのトンネルの中に入ってみると、ちょっと異様な雰囲気である。
鳥居が多いのは、願い事が「通る」、或いは「通った」お礼の意味で江戸時代から奉納する習慣が広がったと云われている。また、朱色は魔力に対抗する色、穢れを払う色、災厄を防ぐ色、生命躍動の色、などとされ、古代の宮殿、神社、仏閣に多く用いられている。災厄を防ぎ、穢れを払う朱色の鳥居をくぐって神域に入るということのようだ。(朱の原材料の水銀…丹…は木材の防腐剤として使用されるので管理面でも理屈に合っている、鳥居の下部を黒色で塗っているのは、更に殺菌作用を高める意味で朱の上にタ−ルで塗装しているのか?)
伏見稲荷大社社のシンボル狐は、御祭神である稲荷大神の眷属が「狐」であることに由来する。
楼門前の向かって(左)の狐は鍵を、向かって(右)の狐は玉を咥えているが、境内にある狐は稲、巻物などを咥えていて統一されていないようだ。(油揚げを咥えた狐はいなかった)
伏見稲荷の歴史は古く、和銅年間(708〜715)に伊呂巨秦公が勅命を受けて伊奈利山(稲荷山)の三つの峰に神を祀ったことに始まる(参考:Wikipedia)とされている。
応仁の乱の後,15世紀後半に、神仏習合により、真言宗東寺の末寺の愛染寺が神宮寺として建立された。その後、明治維新の神仏分離・廃仏毀釈で、愛染寺や社内の仏像類は廃された。(参考:Wikipedia)
近年は、外国人観光客の人気も高く、平日でも多くの人々が訪れているとのことである。
「史跡と古寺巡歴」トップペ−ジへ
伏見