京都最大の伽藍と云われている東福寺(東山区本町)は東山区と伏見区の境界にあり、正式名称を慧日山東福禅寺と称する臨済宗東福寺派大本山の寺院である。
創建は鎌倉前期の嘉禎2年(1236).ときの摂政関白藤原(九條)道家が南都東大寺と興福寺から「東」と「福」の字をとり「東福寺」とした。
本堂は明治14年(1881)焼失後、昭和9年(1934)の再建。入母屋造、裳階付、高さ25.5m、間口41.4mの大規模な堂である。昭和期の木造建築では、最大級とのこと。(参考:Wikipedia)
北門を入るとすぐ左手に仁王門があるが、思ったより簡素な造り(三間一戸の八脚門、切妻造、本瓦葺)で仁王像は安置されていない。北門に対して直角(道路に並行)に立っており、なぜこの場所なのか? 後で調べたら、慶長2年(1597)の建立で、もと万寿寺にあったものをこの地に移築したものであった。(重文) 桃山時代の建造物の特徴である絢爛豪華さに欠ける感あり。
左右に幾つもの塔頭を観ながら暫く歩き,漸く拝観受付にたどり着いた、とにかく広い伽藍である。
受付を済ませ、直進。広い境内を東西に横切る三ノ橋川の渓谷(洗玉澗)に架かる臥雲橋を渡る。臥雲橋から深緑の渓谷越しに眺める通天橋と方丈は正に一幅の絵画である。
東福寺は伽藍と庭園が美しい禅宗寺院である。広大な境内に禅の寺院に相応しい凛とした雰囲気が漂っている。
三門とは、空門、無相門、無願門の三境地を経て仏国土に至る門、三解脱門の略。 応永32年(1425)足利義持による再建。現存する禅宗寺院の三門としては日本最古の門である。5間3戸、重層、入母屋造。
開山堂(常楽庵)伽藍の北方にある。開山円爾像(聖一国師)を安置する開山堂とその前の昭堂のこと。文政2年(1819)焼失、同9年(1826)再建。昭堂の中央部は2階建ての楼閣となっており、伝衣閣と称する。
方丈 明治23年(1890)の再建、正面にある唐門は明治42年(1909)の建立で昭憲皇太后より下賜されたもの。
禅堂 貞和3年(1347)の再建、桁行7間、梁間4間、単層、裳階付、切妻造で現存する最大、最古の禅堂。
普門院 開山堂の西側に建っている寝殿造風の建物。
方丈を取り囲んで東西南北に4庭があり、釈迦の成道を表現していて、「八相の庭」と命名されている。昭和期の造園家重森三玲(1896〜1975)の作庭。(参考:Wikipedia)
南庭 巨石と砂紋で蓬莱、方丈、瀛洲、壷梁の四仙島を表現した配石と右方の五山が築山として表現されている。
北庭 石と苔が幾何学的な市松模様に配されている。
西庭 さつきの刈込と砂地で市松模様になっている。
東庭 柱石北斗七星が構成されている。
東福寺には、このほか、経蔵、東司、浴室、月華門、六波羅門、東福寺の三名橋と呼ばれる「偃月橋・通天橋・臥雲橋」など貴重な遺構がある。
東福寺は、秋の紅葉が有名で、よく喧伝されるが、この時期梅雨晴れに訪れるのも、目に優しい緑の情景が一層趣がある。
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