維新の香りが其所此所に漂う萩城下町の江戸屋横丁沿いに、神仏混淆が色濃く残るお寺があった。 寺名を金毘羅社円政寺(萩市南古萩町)と云い神社と寺を一緒にしたような寺名である。
月輪山円政寺は、山口市円政寺町に創建された大内氏の祈願寺であったが、大内氏滅亡後、慶長9年(1604)毛利輝元による萩城の築城と同時に移転した。その後、明治新政府の神仏分離令にも拘らず、神仏混淆の形態を現在に残している稀な寺である。(参考:パンフレット)
金毘羅社は円政寺と同一境内に建立されており、建立の年代は不詳であるが、寺と共通の参道に建てられた鳥居の柱に延享の年号銘があり、恐らくその頃の建立ではないか?(円政寺説明板では1721年の再建とある)
拝殿は、楼造(山口県独特とのこと)で一重裳腰付、入母屋造の本瓦葺き、前面庇は檜皮葺き、唐破風付。 軒下欄間に十二支の彫刻が巡らせてある特異な建物である。
石鳥居は明神鳥居で柱上部に台輪が付いている。
寺の説明板によれば、庇下に掲げられた大天狗面は、近所に生まれた高杉晋作が幼小の頃、いつも家人に連れられてこの面を見せられながら、もの恐れをしないように躾けられたというエピソ−ドがある。
境内の石灯籠は台座を含め5m弱の高さで山口県下で最大のものとのこと。説明板によれば、萩の名工五島吉平恒徳と山中武祐利豊の共同制作であり、安政5年(1858)に寄進されたものである。特に笠の龍の彫りものは素晴らしいとされている。
嘉永のころ、法光院(現・円政寺)住職恵運は従兄妹の林琴子の子供利助(11歳)を一年半預かり読書や習字を教えた。この子が後の伊藤博文である。(参考:円政寺説明板)
この他、境内には高杉晋作と伊藤博文が幼少のころ遊んだという神馬(木馬)がある。また、金毘羅社拝殿内には、直径130p余りの巨大な金毘羅大権現大鏡(銅鏡)が保管されている。住職の話によれば、太平洋戦争中に軍に供出し、長い間、行方が分からずにいたが近年のオ−クションに出されているのが分かり買い戻したとのことである。
尚、当寺の付近には、維新志士高杉晋作、木戸孝允、日本で初めて種痘を行った蘭学者青木周弼等の旧宅、第26代総理大臣田中義一誕生の地などの旧跡がある。
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