頭 塔(ずとう)

 奈良の街中にずとう≠ニ呼ばれているチョット変わった史跡があり、僧・玄ム(奈良時代藤原氏との政争で敗れ九州・大宰府に左遷された法相宗の僧で746年観世音寺で憤死する)の首塚であるとの伝説があるらしい。過日、そのずとう≠ネる史跡を訪れた。

頭塔への入り口階段を上がったところにある標柱



















 JR奈良駅前から奈良交通バス「破石(ワリイシ)で下車、右折するとすぐに閂で閉ざされた格子の門があり、ここが頭塔(ずとう)への登り口である。見学には、門の斜め前の管理人さん宅(頭塔保存顕彰会事務所の看板あり)に依頼して門を開けてもらう必要がある。

所在地   奈良市高畑町921番地
見学時間  9:00〜17:00 
見学は事前に管理人(中村表具店さん 0742-263171)に要連絡。
 
 奈良にもあった「階段ピラミッド」  格子の門をくぐり石段を上ると南側に茂った樹木を残した土塔が現れた。 まるでエジプト最古のピラミッドと云われている「階段ピラミッド」の小型版である。 
 周囲には良く整備された見学用の木道がついて、左回りで進むと屋根つきの見学用の小広場がある。

 頭塔全景(北東隅より)頭塔東面


















 
 パンフレッドによれば、東大寺南大門の南950m、新薬師寺の西北西700の位置に築かれた方形7段の土塔とのこと。名称の由来は土塔(どとう)がなまって頭塔(ずとう)となったらしい。 (玄ムの首塚伝説が関係しているか?)
 神護景雲元年(767)東大寺僧・実忠が土塔を築いたと古文書の記録にあり、それがこの土塔にあたるらしい。五重塔と同じように仏舎利を収める仏塔とのこと。

 頭塔の東西南北の各面には浮彫の石仏が配されており、見学用の木道からは一度に全体を見ることは困難であるが、東面を見ると1段目、3段目、5段目と頂上に石仏が配されているのが分かる。 頂上には五輪塔も一基置かれているがこれは後の時代に置かれたものか。
 
 頭塔頂上部の五輪塔如来三尊像(東面)




















 配されている石仏の多くは風化のためかその種類が良く分からないが、1段目あたりに配されているものの中にはかなり鮮明にその種類が分かるものもある。(見学小広場の説明板を参考にしながら見るとよい)

如来三尊像(北面)如来と侍者(南面)



















 パンフレットによれば、いずれも奈良時代後期の数少ない石仏で美術史上貴重なものである。尚、頭塔は国の史跡にしていされおり、又、石仏の一部は国の重文に指定されたいる。

僧・玄ムの首塚伝説 
 当時、奈良の都は藤原不比等の死後、息子の藤原4兄弟と長屋王を中心とする一派との政権争い(長屋王の変)で長屋王は自害し、藤原4兄弟は朝廷を牛耳るが、折から都では天然痘の大流行で(天平9年-737)4兄弟が次々と病死する。 橘諸兄、吉備真備、玄ムは藤原氏の突出を抑えようとク−デタ−を起こすが失敗し、玄ムは九州・大宰府(筑紫の観世音寺)に左遷されその翌年死去する。
 
 このような時代背景があり、玄ムが憤死したのは、かって玄ムと対立(藤原広嗣の乱)して処刑された藤原広嗣の怨念の祟りであるといううわさが広まった。
 玄ムは、無念のあまり首だけが奈良まで飛んで帰ったという、玄ムの怨念を鎮めるために東大寺の僧がその頭を葬ったのがこの塔であるとのこと。いかにも尤もらしい伝説である。


 玄ム無念の涙か雨脚が少し強くなってきたので玄ムさんに別れを告げ、次の目的の地に移動することにした。



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