女人高野 室生寺




近鉄室生口大野駅太鼓橋


























8月の或る日、近鉄大阪線・室生口大野駅に降り立つと、秋のような爽やかな風が頬を撫でる室生の里である。 室生寺(宇陀市室生)は真言宗室生寺派の大本山で、奈良県の東端、三重県との県境の室生山の山麓から中腹にかけて伽藍が点在する典型的な山岳寺院である。山号を「宀一山」(べんいつさん)と称する。(「宀一」は「室生」の略とのこと)女人禁制の高野山に対し、女性の参詣が許されたことから「女人高野」と呼ばれる。但し開基は空海ではない。
伝承では、天武9年(680)役小角の創建とされているが、記録上では宝亀年間(770~780)、時の東宮・山部親王(後の桓武天皇)の病気平癒祈願を室生の地で行い、龍神の力で見事回復したので、興福寺の僧・賢璟(けんきょう)が勅命でこの地に寺院を建てたのが室生寺とされている。創建にかかわったのが、興福寺の僧であったため法相宗であったが、江戸中期に法相宗から独立し、真言宗の寺院と
なった。(参考:Wikipedia)



















室生川に架かる太鼓橋を渡ると、正面に本坊表門があるが、ここからは入れない、太鼓橋を渡り右に進み、拝観受付を終えて更に右に進むと仁王門がある。

繋ぎ九つ目紋桂昌院の墓




















尚、本坊表門の前にある石標柱の上方に、家紋らしき模様が彫られている、同寺の職員さんの話では、桂昌院の実家の家紋とのこと。江戸中期に5代将軍綱吉の生母桂昌院の寄進で堂塔が修理されたことによりこの家紋が刻まれたとのこと。また、本堂(灌頂堂)の向かって右側には、桂昌院の五輪塔墓が建っている。
鎧坂金堂



















仁王門をくぐって鎧坂(自然石の石段)を上がると正面に金堂が建っている。金堂(国宝)は寄棟造、杮葺、桁行5間、梁間4間の内陣に1間の外陣(来堂)が付いている。
平安前期(9世紀後半)の建立とされている。但し、外陣は寛文12年((1672)の建設。
(参考:Wikipedia)堂内には、夫々国宝、重文である5躯の仏像が安置されている。
地蔵菩薩立像・・・重文、像高160㎝、貞観時代。胸飾、瓔珞を付け、右手を垂下し、左手に宝珠を戴く。
十一面観音立像・・・国宝、像高196.2㎝、貞観時代。
胸飾から提げた瓔珞に、大き目の輪宝を付け、左手に水瓶を持ち、右手は垂下す。天衣、裙には、この時代の特徴である翻波式衣文が刻まれている。
彩色もよく残っており、ふっくらとした頬と赤い唇が印象的である。堂内の仏像の中では、釈迦如来と並び、ハイライトである。
文殊菩薩立像・・・重文、像高205.3㎝、貞観時代。髷を大きく結い、胸飾、瓔珞を付ける。条帛、天衣、裙を着け、裙には翻波式衣文が刻まれている。左手を胸横に曲げ、右手を垂下し、ややずんぐりとした体形で蓮華座に立つ。
釈迦如来立像・・・国宝、像高234.8㎝、貞観時代。 金堂の中尊。いかり肩、厚い胸、量感豊かな太腿、は貞観時代の特徴をよく表している。腹部から太腿にかけて翻波式衣文が見られる。納衣を通肩に着け、蓮華座に立つ。本像の尊名が、室生寺の標記では釈迦如来となっているが、現在の金堂は、以前薬師堂と呼ばれていた(蟇股に薬壺の彫刻)像の前に十二神将が置かれている、光背に七仏薬師が描かれている、等などから尊名は薬師如来であるといわれている。
薬師如来立像・・・重文、細かい螺髪、厚手の納衣、量感に乏しく、素朴な印象は中尊の釈迦如来(薬師如来)に比べ時代は下がると思われる。
弥勒堂釈迦如来坐像

























弥勒堂 重文、入母屋造、杮葺き、桁行3間、梁間3間、鎌倉時代の建立なるも、江戸時代に大幅に改造されている。(参考:Wikipedia) 堂内には、本尊の弥勒菩薩立像が安置されている。向かって右の脇陣には、釈迦如来坐像(客仏)が安置されている。

釈迦如来坐像
 国宝、像高106.3㎝、貞観時代。螺髪が無い(何らかの事情で無くなったのか、初めから剃髪だったのか?)故に肉髻が際立ち、頭部が小さく見える。納衣を偏袒右肩に着け、太い腰部で膝厚く、ゆったりと結跏趺坐(降魔坐)す。納衣全体に翻波式衣文が美しく流れ、前部には渦文が鮮やかに刻まれている。 本堂(灌頂堂)
















本堂(灌頂堂) 入母屋造入母屋造、桧皮葺、桁行5間、梁間5間、鎌倉時代の建立(延慶元年・1308)。この堂は灌頂堂とも称し、密教行事の灌頂儀式(頭頂に水を灌いで、諸仏や曼荼羅と縁を結び種々の戒律や資格を授けて正当な継承者とするための儀式)を行うための堂である。(参考:Wikipedia)正面は5間とも蔀戸を付ける、。桟唐戸や木鼻など大仏様が見られる。堂内には、如意輪観音坐像が安置されている。なお、「悉地院」と書かれた扁額が掲げられているが、「悉地」とは梵語siddchiで成就の意。密教で修業によって完成された境地のこと。(大辞林より

如意輪観音坐像(重文) 像高78.7㎝、藤原時代。六臂像である。その持物は、右手第1手は肘を曲げ頬に掌を当てている(思惟手)、第2手に如意宝珠、第3手に数珠、を持つ。左手第1手は膝の後方に伸ばして金山の上に置く、第2手に蓮華、第3手は肘を曲げ人差し指を立てて法輪を載せる。
如意輪観音の代表的な座法である輪王坐(右膝を立てて、両足の裏を合わせるポ-ズ)で蓮華座に坐す。
           
五重塔
奥の院への参道
















五重塔(国宝)本堂の左後方に建っている。平安初期の建立とされていて、室生寺では最古の建築物の由。(本尊を祀る本堂より先に建った) 屋外にある五重塔では、日本最小で塔高16.1mである。(文化財指定の建造物で我が国最小の五重塔は,奈良・海龍王寺西金堂内の五重小塔4.01m)         
平成10年(1998)9月の台風7号で、塔近くの大木が倒れ、屋根を直撃大被害を受けたが、幸い心柱など根幹部は倒壊をまぬがれた。1998~2000年の復旧工事で元の姿に戻っている。
女人高野の所為か、女性の参詣者が多いと聞く、この五重塔を含めた周囲の景観は、室生寺の象徴的な景観である。 
御影堂北畠親房の五輪塔墓


















五重塔前から奥の院への参道は長い石段が続く、暫く進むと朱塗りの無明橋がある。さらに延々と続く石段(400段余)を登りきったところに、位牌堂、御影堂などが建っている。御影堂は方3間、宝形造、丸瓦の錣葺きである

この他、境内には、北畠親房の墓といわれる五輪塔(重文、本堂に向かって左前方奥)石仏・軍荼利明王像(金堂に向かって右横)など多くの五輪塔、石仏が点在している。



新・仏像紀行に戻る