もみじ狩り(宮島)
過日(11月初旬)、老妻と厳島神社参拝を兼ねて宮島を訪れた。紅葉の最盛期には若干早いようであったが、天候に恵まれた所為か紅葉、黄葉を愛でる多くの人々が訪れていた。 海外からの観光客も多数見受けられ、食事処ではアジア系、欧米系の言葉が飛び交い賑やかであった。
世界中で、日本と同じ同じ位の緯度にある国では四季もあり、紅葉の現象は見られると思うが、日本の「紅葉狩り」のように四季の移ろいを楽しむ習慣は有るのだろうか。
「紅葉狩り」の歴史は古く、平安時代中期の私選集『管家 万葉集』に「奥山丹 黄葉踏別 鳴鹿之 音聆時曾 秋者 金敷」(おくやまに もみじふみわけ なくしかの こゑきくと きぞ あきはかなしき)とある。(参照:日本大 百科全集 Wikipedia) 近代では明治の歌人正岡子規 が
「 宮島の紅葉が谷は秋闌(た)けて紅葉踏 み分け鹿の 来 る見ゆ」と詠んでいる。
「紅葉狩り」・・・狩とは小 動物や野鳥を捕る ことである、 獣を狩らずに「犭」(けものへん)とは? 上記に取り上げた 2首とも鹿が登場する、また、花札の絵柄に無視を意味す る「しかと」の由来となった10月の「紅葉の鹿」の絵柄があ る。やはり平安の時代から今に至るまで、紅葉と鹿は縁が 切れない。 「犭」も、むべなるかな。
宮島の名物に「もみじ饅頭」がある、これは明治の終わりごろに、宮島の和菓子職人が考案し、宮島紅葉の名所「紅葉谷」にちなんで名付けられたと云われている。
反り橋・・・国重文、毛利元就。隆元により寄進。現存する重文の木橋の中で最古の橋とされている。
厳島神社の境内にあるこの橋は、別名「勅使橋」という、勅使(天皇の遣い)が参拝するときに渡る橋で、弘治3年(1557)に毛利元就・隆元により再建されたもの。創建は不明なるも鎌倉時代と推定されている。諸元:木桁橋(太鼓型)、擬宝珠高欄付高欄、丹塗高欄、黒塗り橋脚、全長24m、橋幅4m。
かつては、勅使が実際に渡ったようですが、勾配が大きくそのままでは渡れないので、床板の上に仮設の階段を造ったそうです。
(181116)
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