飛鳥水落遺跡
 


甘樫丘バス停(「赤かめ」周遊バス)から徒歩6~7分の所、飛鳥川の東岸に位置している。昭和47年(1972)民家の建築事前調査で遺跡が確認され、その後昭和56年(1981)の本格調査で『日本書紀』に登場する中大兄皇子(後の天智天皇)が作ったという「漏刻(水時計のこと)」と付属設備であることが確認された。
飛鳥水落遺跡

日本最古の水時計の跡、斉明天皇六年(660)五月、中大兄皇子が初めて「漏刻」を作り、民衆に時刻を知らせたという。

遺構は22.5m四方の方台状遺構である。盛り上げた4辺はそれぞれ貼が施されている。
合計24本の柱を立てた総柱の建物である。礎石は基壇の地中1m弱下に据えられた。
飛鳥水落遺跡

土盛り部の北西隅、1m弱掘り下げられた区画に柱の礎石が出ている。本来の遺構面はこの高さであった、この礎石の上に柱を立て盛り土をして礎石がずれないように保護した。

当時の日本は刑法の「律」と行政の「令」を中心とする律令制の中央集権体制であった。この体制での「漏刻」の建設は、国家の一大プロジェクトであったことであろう。

飛鳥に吹く風に往時の改新を感じながら暫し遺跡に佇んだ。                            140503





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