美鈴が丘模様
爺の勝手気儘な美鈴が丘団地の紹介である。
団地の概要
・広島市の西南に位置し、ベッドタウンとして開発され、昭和53年(1978)から分譲が始まった。周囲を美しい山々で囲まれ、四季折々の変化を身近に感じられる団地である。
・総人口…約10,150人 ・総世帯数…約4,070世帯 ・第一種低層住居専用地(除:一部)
・アクセス…広島市バスセンタ-から「美鈴が丘高校」行き、又は「山田団地」行きに乗車、所要時間約30分。トンネルを抜けると緑に囲まれた住宅街が開けている。
学校…市立美鈴が丘高校、市立美鈴が丘中学、市立美鈴が丘小学校、私立幼稚園
生活環境…団地内に広島市役所美鈴が丘連絡所、警察美鈴が丘駐在所、郵便局、銀行、医院、ス-パ-マケット、各街区の公園など設置されている。
当団地も建設以来既に、35年が経過し、ご多分にもれず少子高齢化の波が押し寄せてきている。行政、地域社会一体の少子化対策が望まれる。
美鈴が丘団地の建設に伴い団地への進入路として作られた。
全長約250m、幅約12m、尚、トンネル団地側の森は植林によるもの。
(田方方面から団地への出口側)トンネルを抜けると、其処は、緑が美しい住宅街が広がっている。
(西区田方方面よりトンネルを出たところ)
南街区第5公園。桜の時季には、台地内の人々で適当に賑う。 東街区第5公園、団地内の公園は桜が多い。
中央公園遊歩道、ウォ-キングコ-スとしても最適である。 中央公園遊園地、少子化の所為か何時も子供の姿は見かけない。
広島西警察美鈴が丘駐在所。
団地内の治安を四六時中守っている心強い存在。駐在所前のフェンスに板の人形が掛けられて、なかなか微笑ましい。美鈴が丘公民館。
いろいろな公民館活動が行われており、利用度は結構高い。
幼稚園。近代的で洗練された幼稚園のようである。 美鈴が丘小学校。教室多数で広い運動場である。生徒数ピ-ク時は1,500名前後であったらしいが、今は400名程度と聞く、空き教室が目立つとのこと。
美鈴が丘中学校。鈴ケ峯山の北麓に、へばりつく様に建っていて、校舎外観は日陰多く若干暗いイメ-ジがする。しかし生徒のボランティア活動は盛んらしい。生徒数250名程度と聞く。 美鈴が丘高等学校。小学校、中学校と道路を隔てて隣接している、広島市内、近郊からの通学も多く、クラブ活動も盛んで、なかなか評判の良い学校らしい。
幹線道路、南3丁目、ガソリンスタンド辺り。 幹線道路、南3丁目、陸橋辺り。
幹線道路、西3丁目西集会所辺り。 幹線道路、美鈴が丘高校辺り。
美鈴モ-ル(商店街)。センス良く、個性的な商店が並んでいる。毎月第4土曜日(除:7~8月)に土曜朝市(9:00~12:00)が開かれ賑う。 ス-パ-マ-ケット。団地内一般家庭の台所を賄っている。 石仏・道行地蔵に纏わる話…この地蔵は天和2年(1682)4代浅野藩主綱長の時代に造られた(地蔵の台座に刻銘あり)。そして、次のような悲しい物語が伝わっている。
美鈴神社。美鈴モ-ルに隣接して建立されている。平成2年(1990)広島市中区の胡子神社から分霊して創建された。
御祭神は、事代主命・蛭子命・大江広元の3柱
11月には大祭が行われ、神楽、夜市などで賑う。石仏・道行地蔵。南4丁目の第5公園上方の祠に安置されている。この地蔵には下欄に掲載のように悲しい話が伝わっている。
高井越の峠(現在の鬼ヶ城山腹でこの 祠の下の道らしい)は、当時、広島方面から草津、田方を経て石内、五日市に通じていて、頻繁に人馬が往来していたと云われている。
偶々この峠を通りかかった一人の武士が、乳呑児を連れた美しい婦人と出会い一目惚れをした。武士は執拗に関係を迫ったが、婦人に拒絶され、逆上した武士はその場で婦人を切り捨てた。以後この峠付近に女性の亡霊が出没し、通行人に「子供が腹を空かして泣いているので此処に連れてきてほしい」と哀願するのであった。不憫に思った村人達は浄財を投じて地蔵を道々に建てたところ、その亡霊は出なくなった、と云われている。
当団地造成時、峠に点在した地蔵を一か所に集め、田方と美鈴が丘の有志の人々で祠を建てて供養し「道行地蔵」と命名したとのことである。(立て札の説明より)
鬼ヶ城山遠望。渡辺何某の山城があったと云われている。頂上から石内バイパス、広島市内方面の展望が良い。標高282.5m 鬼ヶ城山への登り口。標高は低いが途中2ヶ所ほど急坂あるも、比較的登り易い。近年、春・秋のシ-ズンは中高年のハイカ-が増えた。 八畳岩…この岩の表面に天狗の足跡と呼ばれる数個の窪みあり、磐座(いわくら)と思われる。記録によれば、神武天皇東征の際、草津港を基地とした。当時は海が眼下の草津八幡宮の鳥居付近まで迫り、草津港は力箭山(りきやさん)で西風を防ぎ、波の穏やかな天然の良港であった。この八畳岩は草津港に入った船から正面に見え、草津八幡宮の奥の院として宇佐島、奥津島、市杵島の三女神と素戔嗚尊が祀られていたようです(立て札より)
山頂にある八畳岩。(詳細は下欄) 八畳岩表面の天狗の足跡と呼ばれる窪み。(詳細は下欄)
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