亀山・慈恩寺
阿弥陀如来立像


慈恩寺は、亀山市市民文化部まちなみ文化財室が管理している寺で、住職さんは常在していません、必要な時だけ、別のお寺からこられてお勤めをされるようです。拝観は事前に、まちなみ文化財室へ連絡をいれ、管理人の「K」さんに本堂の鍵を開けて頂くことになります。

この様なお寺ですが、創建は大変古く、「慈恩寺縁起」によれば、神亀5年(728)我が国に於ける法相宗の開祖道昭の弟子である行基が、この地に忍山(おしやま)神宮寺として七堂伽藍の薬師寺(長福寺)を建立し、薬師如来像を安置したことに始まるとされている。

奈良・東大寺の前身である金鐘山寺(大和金光明寺)の建立が天平13年(741)、大仏開眼供養が天平勝宝4年(752)であるから、これよりも古い創建ということになる。現在の寺容からは想像できず、意外であった。

長い歴史を積み重ねている寺であるが、文明4年(1472)兵火により焼失。永正8年1511)寺観を整える。天正3年(1575)法相宗から浄土宗に改宗し、薬師如来を阿弥陀如来に改作。天正11年(1583)羽柴秀吉の亀山攻撃で再び焼失。正徳6年(1716)長福寺を慈恩寺と改称。文化2年(1805)本堂全焼せるも、本尊焼失を免れる。文政9年(1826)に再建された。
平成17年(2005)本堂、庫理、他を改築。平成25年(2013)鐘楼を改築し現在に至っている。

慈恩寺・阿弥陀如来立像(国重要文化財)
制作年代:弘仁・貞観時代(平安初期)

構造形式:像高162㎝、一木造(桧)、漆箔仕上げ。蓮華座、光背は後補。
(参考:国文化財データベース、慈恩寺・資料))

像容:植え付け螺髪、左手は肘を曲げ掌を前に向け親指と中指を相念じている(与願印)。右手は肘を上に曲げ掌を前に向け、親指と人差し指を相念ずる(施無畏印)。納衣を偏袒右肩に着け、蓮華座に直立す。

容貌:引き締まった丸顔、口元はやや突き出し気味で鼻下部短い。(貞観仏の様相である)
体躯:いかり肩、広く分厚い胸、太い腰、太い腿等いずれも貞観仏特徴を表す。

衣文:腰部前面のY字形衣文は貞観時代初頭(8世紀末~79世紀初頭によく見られる。(京都・神護寺薬師如来立像・8世紀末、奈良・元興寺薬師如来立像・8世紀末、奈良・室生寺薬師如来立像・9世紀末など)
    
この時代の仏像の特徴は、全体的に量感豊かで、優美さはなく、アンバランスで、両腿が隆起した像が多い。   

(尚、写真は関係者の許可を得て撮影、掲載しています

慈恩寺(亀山市野村3-18-1)は、JR亀山駅の西北1.3km(徒歩14~15分)に位置する亀鶴山慈恩寺と称する浄土宗の寺院である。

拝観後、管理人さんに、態々亀山城址まで車で送っていただいた、文化財に関わる姿勢と親切な心に感銘を受けました、有難うございます。171203



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