福禅寺・千手観音立像、他





福禅寺・対潮楼からの眺め福禅寺・本堂




















鞆の浦船着場の西方、石垣が築かれた高台に建つ福禅寺は、山号を海岸山、院号を千手院と称する真言宗の寺院である。開基は定かでないが、本堂とそれに続く対潮楼(客殿)は、ともに元禄年間の建立とされている。

本堂と対潮楼は、単層入母屋造、本瓦葺(本堂は、錣葺で一間向拝付)である。対潮楼は、朝鮮通信使のための迎賓館として使用されたとのこと。また、幕末の「いろは丸事件(慶応3年・1867)」の交渉の場のも使われたとのことである。

福禅寺・地蔵菩薩半跏像千手観音立像

































千手観音立像
(本堂・本尊)鎌倉時代、像高108㎝、寄木造、頭上に十一面の化仏を頂き、胸前で合掌する2手えお含め42の手を持つ。臍前で定印を結び、他の手も持物など決失しておらず、円光背、宝冠、瓔珞、天衣などもすべて完備している。後補の個所もあると思うが、大変良好な状態であり、管理がよく行き届いていることが窺われる。

なお、千手観音の基本的な姿は、一面、三眼、千臂、千眼(顔が一つ、眼が三つ、手が千本で各々の掌に夫々1眼をもつ)で千手千眼観自在菩薩といい、頭上に十一体の化仏を頂く像容である。

地蔵菩薩半跏像(本堂脇陣に安置)鎌倉時代、像高69㎝、寄木造、左手に錫杖、右手に宝珠を持つ。蓮華座に坐し、左足を踏み下げる半跏踏下像である。
漆箔は殆ど剥落して、素地の年輪が現れ、それ故になおのこと趣のある像となっている。円光背、宝珠、蓮華座などは後補か?

地蔵菩薩は、釈迦が亡くなってから56億七千万年後に、弥勒菩薩がこの世に現れるまでの間(無仏時代)の面倒をみるようにと、釈迦に頼まれたという。 また、冥界に墜ちた子供を守ってくれるということから、日本人には、一番親しまれている菩薩である。



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