紫雲山葛井寺
大阪府藤井寺市にある真言宗御室派の寺院である。寺伝によれば神亀2年(725)、聖武天皇の勅願で行基による創建とされているが、葛井氏(元、百済の王族で応神天皇の時代の渡来人 )の氏寺として8世紀中頃に創建されたとのことである (参考:Wikipedia)
近鉄南大阪線藤井寺駅下車、線路沿いに古市方向に歩く、踏切を目印に右折、商店街を進む、左側に四脚門あり、さらに進み左折、左側に南大門がある。徒歩6~7分。
南大門 寛政十二年(1796)竣工、入母屋造、本瓦葺の楼門である。 本堂 江戸時代、安永5年(1776)の竣工。入母屋造、本瓦葺き。本尊の千手観音坐像(正しくは千手千眼観自在菩薩)(国宝)は、天平時代(八世紀中頃)造られた像で、千手観音の中では、最も古い遺品とされている。像高97.9㎝、脱活乾漆造で、その姿は千本の脇手(実際には合掌する本手を含め1039本とのこと)が、恰も光背のように取り付けられている。頭上には、天冠台、阿弥陀の化仏と、頂上仏面、慈悲面など10面を戴き、天冠帯を両肩に垂らし、胸飾、瓔珞を付け、魚鱗葺蓮華座に結跏趺坐(降魔坐)している。なお、脇手は大手38本に錫杖、月輪、如来像、髑髏、火炎宝珠、斧などを右側に、左側は如来像、法輪、日輪、戟、堂、宝鈴などの持物を持つ。(本像は、毎月18日の開扉日以外は秘仏で拝観出来ず、購入した写真集で像容を記した)
四脚門(西門)国重文、慶長6年(1601)豊臣秀頼により寄進されたもの。元は南大門として建てられたものとのことであるが、現在は西門として移築されている。
切妻造、本瓦葺。葛井寺で現存する最古の建造物で桃山時代の様式が良く残っている。阿弥陀二十五菩薩堂 江戸時代の建物。堂内中央に等身大の阿弥陀如来立像、両脇侍に聖観音立像、勢至菩薩立像が安置されている。更に両側のガラス張りの中に、左右それぞれ数躯の菩薩立像が安置されている。 当寺の伽藍は掲載以外に、大師堂、護摩堂、鐘楼堂などが建っているが、往時は東西二つの三重塔を持つ薬師寺方式の伽藍配置であったらしいが、明応2年(1493)の兵火と永正7年(1510)の地震で堂塔を失い、現在の建物は近世以降の再建である。(参考:Wikipedia)
阿弥陀二十五菩薩堂の中央に安置されている阿弥陀三尊像、向かって右(左脇侍)聖観音立像、向かって左(右脇侍)勢至菩薩立像。 阿弥陀三尊像に向かって右側の菩薩達、前列向かって右端の菩薩立像は、左足を曲げ、踵を他方の脛部に当てるちょっと変わった姿である。
「仏像図彙」によれば、二十五菩薩の中で、左足を曲げた片足立ちは月光王菩薩である。阿弥陀三尊像に向かって左側の菩薩達、いずれも、ガラス越しの撮影で細部が不鮮明でよくわからないが、江戸時代以降のものか?
(本ペ-ジの仏像写真は、寺の了解の上、堂外から撮影したもの)
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