新日山不動院
アストラムライン不動院前駅の近く、旧街道沿いに建つ不動院は、山号を新日山と称する真言宗の名刹である。その前身は、足利尊氏、直義兄弟が日本諸国に設立した安国寺の一寺で、安芸安国寺と称されていた。
開基は不明なるも、金堂に安置されている薬師如来坐像が定朝様式であることから平安時代中期~後期には創建されていたと推定されている。
安芸国守護武田氏の菩提寺として寺勢盛んであったが、大永年間(1521~1528)戦火により伽藍焼失、武田氏滅亡の憂目に見舞われ寺勢衰退するも、毛利氏の外交僧・安国寺恵瓊により仏殿(この頃は真言宗であった)、楼門(二重門)、鐘楼、塔頭など復興整備され寺勢は盛んだった。
関ヶ原合戦で恵瓊は処刑され寺勢は衰え、毛利氏の転封後、入国した福島正則の祈祷僧・宥珍が住職になり、宗派を禅宗から真言宗に改宗し、本尊を不動明王とし不動院と称したという。(参考;Wikipedia)
その後、江戸時代の不動院は広島藩と藩主の安寧を祈る性格の寺であったので、伽藍の整備などは藩の援助で行われ、高い格式を誇っていた、しかし安永年間(1772~1780)無住の時代が続き次第に寺勢は衰えた。江戸後期に入り、時の住職は寺勢回復すべく手段を尽くし、ついに不動院は寺勢を盛り返した。(参考:広島県立文書館の不動院文書展パンフレット)
1945年8月6日広島市への原爆投下により被害を受けるも、爆心地から約3.9Km離れた山麓に位置していたため一部を除き全体的な倒壊は免れた。被爆後、市中から親類縁者、檀信徒、一般の罹災者など多数受け入れ、現在の庫裡、不動堂に入りきれず、境内にはみ出し、暫く起居していた。(参考:境内立札)
楼門(形式は禅宗様二重門)(国重文) 三間一戸、二階二重門、入母屋造、本瓦葺で、 桃山時代・文禄三年(1594)の建築とされている が、(上層の尾垂木に恵瓊が朝鮮半島から持ち 帰った材で建てたという意味の「朝鮮木文禄三」 の刻銘があるため)細部に室町末期の様式が見 られるとのことである。 前面両側に仏教の守護神・金剛力士(阿・吽)が 寺院の門前を外敵から守るべく、睨みをきかして いる。 後方は壁がなく、吹放しの一般的な様式である。 尚、上層には十六羅漢像が安置されている由。 |
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二重門の組物 上層階正面に「不動院」の扁額が掲げられ、「組 物」は三手先(みてさき)で2本の尾垂木を備えた 高い格式を表している。 下層の組物は出三斗(でみつど)となっている。 「組物」は柱の上だけでなく柱と柱の間にも設けら れており(禅宗様の特徴)、白壁とのバランスが 美しい。 |
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上層階勾欄 勾欄の親柱に付けられた禅宗様勾欄のシンボル とも言える「逆蓮(さかばす・ぎゃくれん)」である。 なぜ下向きなのか? 釈迦が誕生したとき七歩あるき、その後から蓮華 花が咲きだしたという伝説。まだ仏像が造られな かった時代に仏足跡、菩提樹と共に蓮華が釈迦 のシンボルとされていた、等々の事情はあるが。 「下向き」を連想させるる事柄ではなさそうである。 蓮花を付ける為の単なる意匠か? |
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礎盤 当初は、粽付きの柱と礎石の間に礎盤を入れ、柱 の高さを揃える為の部材であったが、施工技術の 向上に伴いその必要性は無くなり、禅宗様のシン ボルとなった。 |
金堂(国宝) 江戸初期、禅宗から真言宗に改宗されたので、「 仏殿」から「金堂」に呼び方が変わった。 室町後期の禅宗様建築物。天井の墨書から天文 九年(1540)の建立と推定されている。現存する 中世禅宗様建築物では国内最大と云われてい る。上層屋根の軒反りは見事に反り、禅宗様の 特徴を表している。 屋根:入母屋造、杮葺き。構造:一重裳階付、桁 行3間、梁間4間。内部:鏡天井、土間床、正面 は一間の吹放しになっている。 金堂内には、金堂の本尊・薬師如来坐像(藤原 時代、像高:140㎝、国重文)、十二神将像が安 置されている。(金堂内写真撮影OKなるも、イン ターネットによる公開禁止であったので、薬師如 来坐像などの公開出来ず) |
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身舎(もや)軒下組物は三手先、裳階の組物は出 三斗が設置されている。 周囲に張り巡らされた弓欄間が美しい。 写真は側面裳階部分:弓欄間、花頭窓、桟唐戸、 粽(ちまき)付きの柱と礎盤、礎石、基壇の様子( いずれも禅宗様) |
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粽付きの柱と「頭貫(かしらぬき)」と「台輪」の様 子(いずれも禅宗様) |
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垂木は扇垂木、頭貫きの先端部は拳鼻(こぶしば な)(手の拳を横から見た形の木鼻のこと) |
鐘楼(国重文):室町初期・永享五年(1433)の建立。 和洋折衷(三手先の組物は和様、禅宗様の扇垂木 など)、白壁塗袴腰付の鐘楼。 均整の取れた美しい鐘楼である。内部には、恵瓊が 朝鮮半島から持ち帰ったという銅製梵鐘(国重文)が掛けられている。 |
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不動堂:堂内には、不動院の本尊・不動明王立像が安置されている。 | |
客殿:玄関を入り、すぐ左側に無準禅師の倚像(曲禄 座った像)と聖一国師の倚像が安置されている。両像とも市重文で、前者が塑像、後者は寄木造である。 原爆投下による被爆者を多数受け入れ、暫く起居し ていた建物の一つ。 |
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平成26年、全面葺き替えが終了した金堂の屋根(杮葺き)が、放生池(捕えた魚類を放してやる為に設けられた池)越しに渋く輝いていた。 | |
境内左奥の小高い墓苑に不動院中興の祖・安国寺恵瓊の墓が建てられている。他に竹田刑部少輔の墓、福島正則の墓、豊臣秀吉の遺髪塔も建てられている。 尚、京都・建仁寺方丈の裏庭にも恵瓊の首塚がある。 |
150703
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