庄原・本郷町 圓通寺


庄原市本郷・甲山の南中腹に位置する圓通寺は、鎌倉後期(正中元年・1324)備後国守護代山内首藤通資(やまのうちすどうみちすけ)によって創建されたと伝えられる。現存する本堂は、山内直道(誕生不明~死没1553、備後国甲山城主)が、天文年間(1532~1555)に建てたと伝えられている。
昭和46年(1971)、国による解体修理がなされ、本来の姿(禅宗様式)に戻されている。中国地区では、下関市・功山寺仏殿(国宝)、広島市・不動院本堂(国宝)と共に圓通寺本堂(重要文化財)は禅宗様式の建築物の代表的な建物である。


圓通寺本堂(禅宗様式)の主な特徴
本堂(国重文)

臨済宗妙心寺派 本尊千手観音菩薩立像

構造:桁行3間、梁間3間、一重、入母屋造、銅板葺(創建当初は杮葺のようであった)、二軒二重扇垂木、強い軒反り、桁行、梁間共に3間の柱間は桟唐戸
裳階なし、華頭窓なく、方3間仏壇付きである。土間は敷物で確認できなかったが、多分四半敷と思う。小規模乍ら禅宗様仏殿として形は整っているようである。
軒を支える垂木上(飛檐垂木)下(地垂木)二段の二軒で二重扇垂木である尚、軒の組物は二手先である
柱と柱の間の中備も二手先の詰組(下写真)である。
(右の本堂写真提供者:中野様)
               
厨子(国重文)

内陣正面に設置されている、中には本尊の千手観音立像が安置されていると思われる(施錠されており拝観出来ず)。
厨子の左(向かって右)側に毘沙門天立像、右(向かって左)側に地蔵菩薩立像が安置されている。
構造は一間厨子、桟唐戸、組物は本堂と同様の二手先である。
厨子上部(笠)に如意頭文様の彫刻あり。「如意」とは、頭部が雲形の板で、柄がついている仏具。この頭部の形の連続が如意頭文様と呼ばれている。如意の意味は、「意の如し」で、「自分の思いがすべて叶う」という意味。
(左の厨子写真提供者:中野様)

右下の写真が「如意」。
僧が読経や説法の際権威や威儀を正すため手の持つ仏具。    
                    
化粧屋根裏

本堂内天井は厨子の上方だけ鏡天井が張られ、、睨み龍が描かれている、他は化粧屋根裏となっており、扇垂木、二手先の組物海老虹梁などの詳細な様子を見ることが出来て、寺院古建築の格好の教材と思える。
藁座(わらざ)

桟唐戸の回転軸を吊るため頭貫(かしらぬき)に取り付けられた藁座。
礎石(そせき)・礎盤(そばん)・(ちまき)・地貫(じぬき)又は地覆(じふく)

礎石のうえに地面の高さの違いを調整する木製の礎盤(お椀のような形)を置き、柱と組み合されている。
柱の上下をすぼませたた部分がある粽(ちまき)で柱の最下部を通した地貫で組み合されている。

(禅宗様建築の基礎部様子がよく分かる)
尚、本堂内には、厨子の左右に安置された地蔵菩薩立像毘沙門天立像(四天王の一人として祀られる場合は多聞天と呼ぶ)、厨子の前に台座(小さい乍ら、豪華な蓮華座である)に座した十一面観音菩薩坐像、両側脇仏壇に阿弥陀三尊坐像、聖観音立像などが安置されている。

本堂正面桟唐戸の花座間に刻まれた紋所のような彫り物は何か?
山内首藤の菩提寺であるが、山内首藤の家紋は「白黒一文字」紋である。花座間中央の割れ目は?(自然に割れたのか、或は故意に割れ目を入れたのか?)対の桟唐戸も同様に割れ目が入っている。

(この文様は、家紋一覧には掲載されていない?)

素な山門
薬医門のようである、鬼板(棟の端を覆う装飾的な板)に山内首藤の紋所「白黒一文字」紋が刻まれている。

     
190705




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