広島・圓明寺

      
     如意輪観音坐像






















三宅山圓明寺(広島市佐伯区三宅)は同寺の資料及び『五日市町誌』を要約すれば、三宅村(観音)に在って、三宅山山王院と号する。弘法大師(空海)が開基である。真言宗高野山派のお寺で、本尊は如意輪観世音菩薩である。現在の主たる伽藍は本堂、庫裏、鐘楼などである。

由緒、弘法大師が上不見山極楽寺に一時滞在したとき、国家安泰を祈願するために創建したとされている。かっては西国一と称された真言宗の寺院であったが、古来幾度となく災厄にあい、加えて福島正則の寺領没収で無住となり、寺勢衰退を余儀なくされた。(参考:圓明寺資料)
明治6年(1873)正覚院(廿日市市)が兼務となり、現在は正覚院から新進気鋭の若い住職が派遣され、近年本堂内、庫裏など修理、新築し、今後の寺運更なる隆盛が期待される。










本尊・如意輪観世音菩薩坐像 室町時代の作、像高56㎝、寄木造、玉眼。
6臂像である。(2臂、4臂、8臂像などの多臂像もあるが、6臂像が一般的である)右手第1手は、肘を曲げ頬に手を当てる思惟手(衆生をどのように救済するか熟考中)、第2手は、掌に如意輪観音のシンボルである如意宝珠を頂き、第3手は右膝横で念珠(欠失)を持つ。左手第1手は伸ばして膝後ろの金山に置く(世界が不動であることを表す)第2手は掌を前に向け開敷蓮華(花弁が開いた蓮華)を持つ、第3手は肘を上に曲げ、人差し指を立て法輪(欠失)を置く。条帛を右肩から左脇に着け、右膝を立てた輪王坐で蓮華座(如意輪観音特有の坐法)に坐す。 上瞼の線が下方に垂れ下がり、やや鋭い感のある目などは室町時代の様相か。
また、像全体が黒色仕上げになっており、裙の一部に残る截金文様が造像時の煌びやかさを思わせる。
尚、宝冠、天冠帯、胸飾、瓔珞及び輪光の光背は後補と思われる。








阿弥陀如来座像
本尊・如意輪観音の右側に安置されている、下品上生印を結び、納衣を偏袒右肩に着け蓮華座に結跏趺坐す。
近年補修され美しくなっているが、江戸時代の作であるとのこと。
また、本尊の左側には、2躯の弘法大師像(写真なし)が安置されている。
本堂右横の祠には、合掌した地蔵尊と水子供養の地蔵が祀られている。地蔵祠と並んで「地神」と刻んだ石碑が立っている。
本堂右横空き地に古い五輪塔の残欠と一緒に置かれている不動明王と空海の石像。
境内の鐘楼に懸かるちょっとハイカラな梵鐘

池の間に THE WORLD PEACE BELL
と鋳出されている。
仁助法親王の宝篋印塔
2m程の盛り土の上に、塔高4m程の大きな宝篋印塔あり、仁助法親王之塔と刻まれている。塔身部に金剛界四仏の梵字が刻まれ、基礎部には墓誌銘が刻まれている。仁助法親王の墓とされている。(仁助法親王の陵墓は、JR宮島口の西側にもある、現在はJR宮島口西側にあるほうが正しいとされている)

(この二か所の陵墓については、もう少し詳しく調査をしてみたいものである)

約10年ぶりに当寺を訪れた、本堂の外観は以前と殆んど変わっていなかったが、庫裏が新しく建てられていた。住職に伴われ本堂内に入りご本尊を拝観させていただいた。本堂内も略全面的に改修されていて良い意味で以前の面影は殆んど見当たらなかった。聞けば現住職は、近年正覚院から派遣されたとのことである。住職の気さくな対応でいろいろな説明をきくことが出来た、住職に感謝。(仏像の写真は許可を得て掲載しています)




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