醍醐寺(下醍醐)
京都・伏見区醍醐伽藍町にある醍醐寺は真言宗醍醐派総本山で、山号を醍醐山(深雪山とも)と号する寺院である。醍醐山(笠取山)に200万坪以上に及ぶ広大な寺域を持ち、伽藍は醍醐山頂一帯(上醍醐)と山麓一帯(下醍醐)に分かれる。
貞観16年(874)、理源大師聖宝により開山された。その後、醍醐、朱雀、村上の三天皇の庇護を受け、次々と堂塔が建立され、天暦5年(951)には五重塔が完成し、山頂、山麓に広がる大伽藍の威容が整った。
その後、応仁の乱(応仁元年・1467~文明9年1477)で、文明2年(1470)大内氏(西軍)の兵により山内諸堂、諸院は五重塔のみ残し悉く焼け落ちた。しかし、慶長3年(1598)には豊臣秀吉による「醍醐の花見」を契機に桜樹700本の移植、、仁王門の修理、境内に宸殿及び庭園の造築、並びに紀州湯浅萬願寺本堂の解体移築がなされた。 尚、伝承されている寺宝の大多数は、国宝、重要文化財に指定されており、平成6年(1994)世界文化遺産に登録されている。
総門 新緑の枝垂桜の出迎えられて、旧奈良街道沿いに建つ醍醐寺全体の総門(東向き)を入る。 広大な寺域を持つ巨刹の割には簡素な門である。 門をくぐれば参道が東方向にまっすぐに伸び、西大門に突き当たる。この参道は桜馬場と呼ばれているが、4月下旬の新緑の参道もまた趣がある。 |
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総門を入ってすぐ左手に参拝受付を兼ねた三宝院の山門(南向き)がある。 三つのエリア(三宝院エリア、伽藍エリア、霊宝冠エリア)の参拝券購入。 |
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三宝院大玄関が、中庭の立派な松越しに見える。 |
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三宝院は醍醐寺の本坊的な塔頭で、永久3年(1115)醍醐寺14世座主座勝覚により創建された。応仁の乱で三宝院も廃寺同然となるも、慶長3年(1598)秀吉の「醍醐の花見」を契機に整備された。現在の三宝院は、建物の大半が重要文化財に指定されている。 三宝院大玄関・重要文化財 桃山時代(慶長3年・1598)の建立。 桁行11.8m、梁間16.9m、一重、切妻造、妻入、本瓦葺き。 三宝院車寄・重要文化財 建立は大玄関と同時期、桁行4.8m、梁間5.8m、一重、唐破風造、檜皮葺。 玄関、車寄せ共に時代を反映した豪華な建物である。 |
三宝院庭園(国特別名勝・特別史跡) 慶長3年(1598)「醍醐の花見」に際し、秀吉自ら基本設計をしたとされている。 作庭年代:桃山時代~江戸前期。 様式:池泉式、面積:約4,000㎡(名勝指定面積) 表書院から眺めるように作庭されているとのこと。 作庭期間は「醍醐の花見」が終わった慶長3年(1598)4月から元和10年(1624)までの26年間の長期に亘ったとされている。(秀吉は作庭が始まった直後の8月18日に病死している) 左写真は三宝院の純浄観(重文)の広縁からの眺めです。 (通常は非公開の建物ですが、筆者が訪れた日は偶々公開されており、広縁から庭の撮影はOKでした、但し建物内の撮影は不可、また、別途拝観料は必要)、 |
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三宝院の大玄関を入り、順路に従って進むと「葵の間」「秋草の間」「勅使の間(重文)」「表書院(重文)」「純浄観(重文・特別拝観)の順序で各々に襖絵を拝観することが出来る(撮影禁止) 三宝院本堂(重要文化財) 本尊が弥勒菩薩座像であるため「弥勒堂」、また本堂裏に護摩壇があるので「護摩堂」とも呼ばれている。 桃山時代・慶長3年(1598)建立。 桁行5間、梁間3間、一重、入母屋造、妻入、1間向拝付、桟瓦葺。 |
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三宝院唐門(国宝) 総門を入り参道(桜馬場)をまっすぐ行くと、左側に(参道沿い)建っている、朝廷の使者を迎えるときのみ開かれたとされているる門であり、なかなか品位のある門である。 ・構造・形式:3間1戸(出入り口は中央のみで、両サイドは嵌め殺し?)平唐門、檜皮葺。 平唐門は1間1戸が一般的であるが、三宝院の平唐門は3間1戸であり、あまり見たことがない。 中央扉部に五七の太閤桐、両サイドに十二弁の菊の文様(薄肉彫)が施されている(黒漆・金箔)。 |
西大門 桜馬場(参道)をまっすぐ東に進み、突き当りにある。慶長10年(1605)豊臣秀頼により再建されたもの。 |
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西大門をくぐると、新緑の参道が金堂、五重塔へと続いている。桜の時期は過ぎていたが、緑溢れたなかなか趣ある道である。 道脇のあたかも工事中のようなパイプの柵は、ちょっといただけない。 |
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金堂(国宝) 醍醐寺の本堂である、元は紀州湯浅の萬願寺本堂であったが秀吉の援助で、解体移築したもので慶長5年(1600)に完成した。(秀吉は慶長3年・1598年8月、伏見城で死去、完成を見れなかった) ・建物の時代:平安後期、 ・構造、型式:桁行7間、梁間5間、一重、入母屋造、本瓦葺。 背の高い大斗や肘木に古風が見られるとのこと。 |
五重塔(国宝) 醍醐天皇の冥福を祈るため、発願から20年を要し、天暦5年(951)に完成した。 応仁の乱でも焼け残った唯一の建物で、10世紀創建当時の姿を残している京都府最古の木造建築物である。 3間五重塔婆、本瓦葺、総高38mうち相輪部12.8mあり、逓減率0.61で非常にバランスが良い五重塔である。 逓減率:初層に対する五層の幅の割合で、数値が小さいほど時代が古いとされている。 塔の美しさは逓減率が尺度になるとされている。塔の理想的なプロポーションは逓減率0.6と言われている。 著明な塔の逓減率は、 ・法隆寺五重塔(奈良)0.5、落ち着いた安定感あり(奈良時代) ・醍醐寺五重塔(京都)0.61、理想的なプロポーション(平安時代) ・瑠璃光寺五重塔(山口)0.68、すらりとした細身(室町時代) ・明王院(福山)五重塔0.71、のっぽ感強し(南北朝時代) |
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醍醐寺清滝宮本殿(重要文化財) 金堂の南側参道を隔てて建てられており、醍醐寺の鎮守社。永正14年((1517)の再建。 建物の時代:室町後期、 構造形式:三間社流造、檜皮葺 当初、空海が唐・長安の青龍寺から勧請した密教の守護神を上醍醐に祀った。分身を下醍醐に祀ったとされている。 |
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醍醐寺霊宝館 醍醐寺には、歴史的価値が高い建造物の他、仏像や古文書,絵画、工芸品など多くの宝物が所蔵されている。、これらの管理、保存、公開を行っている部署が霊宝館である。 昭和10年(1935)に開館、一般公開された、その後、所蔵品の増加に対処するため、昭和54年(1979)新しく収蔵庫3棟を新築、更に手狭になったため平成13年(2001)更に増築が成された。 現在春季特別公開中(平成29年3月20日~5月15日)である。公開中の仏像で主たるものは、薬師三尊像(日光・月光を含む)・貞観時代、五大明王像(不動、降三世、軍荼利、大威徳、金剛夜叉含む)・藤原時代、いずれも国宝、重要文化財。他多数展示されている。 |
上記の他に下醍醐のは、観音堂、不動堂、鐘楼堂、弁天堂などの伽藍が建立されている。この度の拝観は時間と体力の関係で上醍醐は拝観出来ず。(醍醐寺の原点である上醍醐は、登り口から山上の伽藍拝観に要する時間は2時間強必要とのこと) 170515
(参考:醍醐寺冊子、醍醐寺リーフレtット、Wikipedia, 文化庁データベース)
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