過日・室津半島の先端にある室津の町を訪れた。江戸時代には、廻船の寄港地として栄えた港町であった。今は、擬洋風木造4階建の「四階楼」(国重文)で代表されるレトロな風の吹く港町である。
この町の中心部より僅か北方に、幕末には義勇隊ならびに室津鴻城軍の駐屯所であった西方寺の阿弥陀如来坐像を拝観させて頂いた。
西方寺(上関町大字室津丸山)は、慶長年中(1596〜1614)長誉貞竜なる僧が堂宇を建立し浄土宗龍池山紫雲院西方寺と改めた。同僧は中興の祖とされている。当時は当浦波止崎に建立されていたが、火災に遭って寛文年中(1661〜1673)現在地に移転したという(参考:広報かみのせき)
阿弥陀如来坐像(本堂に祀られている)
室町時代の作で像高2尺9寸(88p)である(参考:広報かみのせき)
大きい肉髻、粒の揃った螺髪、なだらかな肩の線などは、一見藤原中期を思わせ、また、分厚い腿は、貞観仏を思わせる。一方、やや頭の大きいプロポ−ション、分厚い納衣、形式的で簡単な衣文線は室町時代の様相である。
室町時代の木彫仏像は、時代的特徴が乏しく、藤原、鎌倉時代を手本にするものが比較的多く、外観での時代判別が、なかなか困難である。
全体的には、比較的バランスよくまとまっており、恐らく中央仏師が手掛けたものではないか?
像容は上品下生の来迎印(右手は胸前に、左手を膝上で、各々親指と人差し指を捻ずる)を結び、円光の内側に八葉蓮華を表した光背を背にして、蓮華座に結跏趺坐す。
後補の個所があるとは言え、特に文化財(県、市、町の )に指定されている様子はない、同地区の隠れた名仏である。
この度は、同好(郷土史研究)の仲間十数人と共に室津の町を訪れ、同町の代表的建造物である「四階楼」を見学後の昼食時に、西方寺の仏像の話を聞き、早速に仲間と共に案内していただいた。(快く案内していただいた同町文化財調査委員松村委員長に感謝)
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