斑鳩・法輪寺の諸仏
斑鳩の里を巡って、里の北方に位置する法輪寺を訪れた。同寺は飛鳥時代の創建に成る古刹で山背大兄王が父・太子の病気平癒を願って建立されたと伝えられている。(当寺の創建、伽藍等については、別途「史跡と古寺巡歴」のサイトをご覧ください)
法輪寺の講堂には、飛鳥時代から江戸時代までの仏像が多数安置されており、いずれもガラス越しなどではなく、生で間近に拝観できる。 その中で、特に印象に残った数躯を紹介します。(写真撮影禁止のため残念ながら写真はありません)
・本尊 薬師如来坐像:国重文、飛鳥時代、一木造、彩色、像高 110p。 飛鳥時代の木彫如来坐像では最大の像とされている。
面長で杏仁形の目、大きい鼻、アルカイックスマイルなど止利様式 を示す。印相は施無畏印・予願印を結び、薬壺は持たず、(飛鳥時 代などの古い形式の薬師如来は薬壺を持たない)裳掛けの宣字座 に結跏趺坐している。
・十一面観音立像:国重文、貞観時代、、一木造、彩色、像高360p、講堂の中央に安置されている。
大きい目、厚い唇などの厳しい表情は弘仁・貞観時代の特徴を表す。 頭部の小面は頂上の仏面と正面、左、右、後部の小面で11面(本面を合わせ12面)の十一面観音立像である。
右手を垂下し、左手は直角に肘を曲げ、蓮華を挿した水瓶を持つ。天衣を前に大きく二重に湾曲させ、右手首と左肘に掛けて、蓮華座に立つ。
・地蔵菩薩立像:国重文、貞観時代〜藤原時代初期、一木造、彩色、像高150p。
貞観仏にしては若干量感が乏しく貞観時代から藤原時代にかけての端境期の作か?。 僧形の頭部髪際を波打たせているのが特徴的である。顔には胡粉が残っている。
右手の掌を外に向け稍曲げて下ろし、左手は肘を直角に曲げ掌上に火焔宝珠をのせる。
・米俵乗毘沙門天立像:貞観時代、一木造、彩色、像高160p。向って一番左端に安置されている。
胸甲、肩甲、腹甲、腰甲、脛甲、を着け、胸甲と腹甲には獅噛を付ける。沓を履履き、左右二つの米俵上に立つ非常に珍しい立像である。(米俵はすでに飛鳥時代にはあったと思われ、この時代に米俵はそんなに珍しい存在ではなかったと思うが、仏像の台座にしたのは可なり珍しい、時代が下れば大黒天など、米俵乗像はある)
・吉祥天立像:国重文、貞観時代、一木造、彩色、像高170p。
浅い彫であるが稍きつい目、いかり肩で広い巾、太い腰などは貞観時代の特徴を示す。
唐風の着衣を着け、右手は掌を外に向け稍肘を曲げて下ろし、ひだりては肘を直角に曲げ、掌を上に向け(恐らく宝珠を載せていたと思う)荷葉座に立つ。
この他にも、講堂内には・虚空蔵菩薩立像・弥勒菩薩立像・楊柳観音菩薩立像・聖徳太子二才像など全部で12躯の貴重な仏像が安置されている。
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