白滝山・石仏群
好天の下,落合郷土史研究会のバスによる探訪会である。訪れたのは尾道市因島の北東部にある白滝山。
白滝山は標高227mの小高い岩山で、案内版によれば、山腹から頂上にかけて約700体の石仏があるとのこと。
パンフレットによれば、永禄12年(1569)因島村上水軍6代当主村上吉充が布刈瀬戸の見張り場として頂上に観音堂を立てたと伝えられている。
その後、江戸時代後期に重井の豪商・柏原伝六が、神道、仏教、儒教、基督教(当時は禁制)の共通理念を基礎に「一観教」を開き、山頂に清浄世界を表そうと弟子の柏原林蔵や石工たちと共に石造五百羅漢を刻む。文政10年(1827)発願し文政13年(1830)に完成した。然し、伝六は文政11年(1828)一揆を恐れる広島藩により毒殺されたとのこと。 (参考:パンフレット)
頂上の石仏群は、伝六の宗教観を具体的に現した(?)立体曼陀羅とでも言えるものでしょうか、いろいろな要素の混じった石像があります。
十字架観音像 6臂(?)観音像で、左肩上部に十字架のが浮き彫りされている。
像が彫られた時代はキリシタン禁制であったが、伝六の宗教観・理念から敢えて十字架をかくさなかったのか。
釈迦三尊坐像 主尊の釈迦如来は定印を結び、向って左の右脇侍・普賢菩薩の台座の象は牛の尻と馬の尻尾だそうです(像を彫った石工は象を見たことが無かったようです)、向って右の文殊菩薩の台座は獅子です。 尚、基壇の四隅では四天王が守護している。
阿弥陀三尊象 主尊の阿弥陀如来は上品上生印を結び、向って右(左脇侍)の聖観音は合掌印、向って左(右脇侍)の勢至菩薩は施無畏印・予願印を結ぶ。通常は勢至菩薩が合掌印を結ぶものが多い。
過去七仏像 釈迦の出現以前にこの世に現れた6人の仏陀と釈迦を含めて過去七仏と云われている。
伝六夫妻像(一観像) 夫人像は、なぜか肉髻、螺髪、白毫を着け、定印を結び如来形になっている。夫妻とも蓮華座上に結跏趺坐している。
天狗像 鼻高く、背に翼、頭上に頭巾をつけ典型的な天狗の姿(中央は団扇の代わりに斧のようなものを持つ、他の2躯の持物は不明)
天狗を信仰の対象としたのは山岳宗教の修験道である。伝六の宗教観の一端なのか?
これらのほかにも羅漢像をはじめ様々な石仏が立てられたいる、山頂に設置された三角点は周囲に箒目がつけられきれいに掃除されている。
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