楊貴妃伝説の寺・二尊院


 好天に誘われて長門市油谷の向久津半島に抱かれた湾沿いにある楊貴妃伝説で名高い古刹二尊院を訪れた。 美祢ICからR316に入り、湯本温泉を横目で眺め、更にR191を経由して二尊院を目指す。 途中に点在する桜は春光を浴び満開となっており、我が目を楽しませて、まさに花見を兼ねた訪れとなった。
本堂前に建つ楊貴妃像 中国風の休憩所











 

寺の前にある空き地に車を止めて石段を上がり参道を進む、山門は見当たらず思ったより小さいお寺であったが、境内の前には全面に石を敷き詰めた広場と鮮やかな朱塗りの中国風建物二棟が建っている。
 そして本堂に向って一段と高くなったところには、周りの景色に不釣合いな真っ白い大理石の像高3〜4mもあろうかと思われる楊貴妃像がたっている。

 二尊院(山口県長門市油谷向津具下)は真言宗御室派の古刹で、山号を龍伏山、寺号を天請寺と号する。同寺のパンフによれば創建は大同2年(807)と古く、伝教大師・最澄の開山と伝えられ往時は15の末寺を従えた大寺院の塔頭であったとのこと。
 
二尊院本堂 

 
 当初は天台宗であったが栄枯盛衰を繰り返し、江戸時代初期に真言宗に宗旨を改め毛利家の祈祷所として庇護を受け隆盛した。然し、その後幾多の兵火、天災に見舞われ次第に寺勢は衰え、ついに関連寺院の全てを失い現在の寺観となる。
参考:当寺のパンフレット






釈迦如来立像・阿弥陀如来立像(国重文)双方とも鎌倉時代の作。二尊並列で本尊とする珍しいスタイルは京都・二尊院と京都・遣仰院と当寺の3ヶ寺のみと云われている。京都・二尊院の像は二尊並列で祀られたとき阿弥陀と釈迦が対照的になるように阿弥陀の来迎印が左右反対になっているが、当寺の阿弥陀は通常の来迎印を結んでいる。        
清涼寺式釈迦如来立像









































・ 阿弥陀如来立像…鎌倉時代の作、像高98.3p、寄木造、漆箔、玉眼嵌入、納衣を通肩に着け、印相は下品上生に結び蓮華座に立つ。尚、光背は雲焔付き輪光背(後補)。寺のパンフによれば、修理の際に胎内墨書が発見され、文永5年(1268)仏師「法橋院好」の銘があるとのこと。

・ 釈迦如来立像…鎌倉時代の作、像高97.7p、寄木造、彩色、玉眼嵌入、納衣を通肩に着け、印相を施無畏印、与願印に結び、蓮華座に立つ。
 本像は
清涼寺式釈迦像と言われるもので、頭部は縄目のように螺髪が刻まれ、同心円状に刻まれた衣文、濡れて肌に密着したような納衣など、ガンダ−ラ仏を連想させる。

釈迦如来立像、同心円状に刻まれた衣文

釈迦如来頭部、縄目状に刻まれた螺髪
                             (クリックで拡大)
 清涼寺式釈迦像とは、奈良・東大寺の僧・「然(ちょうねん)が永観元年(983)入宋して、インド伝来の釈迦像を拝しその像を模刻させて持ち帰り、京都・嵯峨に釈迦堂(清涼寺)を建て安置した。インド・中国・日本と伝来したことから「三国伝来の釈迦像」と呼ばれ、人々の信仰を集め、多数模刻された(全国で100躯以上あると云われている)
 当寺の釈迦像もこの模刻像でありこの像に対する信仰が当地区にまで広がっていたことを示すものであると思う。


中国陜西省興平県馬嵬坡(ばかいは)の像と同一のものだそうです
 
二尊院が楊貴妃伝説の寺と呼ばれる所以は玄宗皇帝の愛妃楊貴妃が安禄山(唐代の中国の軍人)の乱で処刑されるところ小舟で逃れ向津具(むかつく)半島の唐渡口(とうどぐち)に漂着し、まもなく亡くなったので里人たちは当寺院の境内に葬ったそうです。
 
 一方玄宗皇帝は楊貴妃が日本に漂着し亡くなったことを知り追善供養のため、秘蔵の霊仏、阿弥陀・釈迦の二尊像と十三重の宝塔を届けさせたが、いずれの地に漂着したか判らなかったので二尊像を京都の寺に預けた。後になって楊貴妃の墓が当寺院にあることが判り、京都の寺では同じ二尊仏を彫刻し阿弥陀・釈迦の一躰ずつを分け合い安置することになった故に朝廷より「二尊院」の院号を賜った
参考:寺のパンフレット) とのことで二尊院が楊貴妃伝説の寺とされる所以とのことです。楊貴妃桜
写真(左)境内の前に立つ楊貴妃像は、遥か彼方を望郷の眼差しで眺めている。説明文によれば、「ふるさと創生事業」の一環として油谷町が作成したとあり、中国陜西省馬嵬坡(ばかいは)の像と同一のものだそうです。(桜の名前も楊貴妃です)
 楊貴妃の墓と伝わる五輪塔



楊貴妃の墓と伝わる二尊院の五輪塔(総高153p、鎌倉時代)
境内の高台に自然石をつんで土台として、その中央に花崗岩の堂々たる五輪塔である。











尚、当寺の宝物殿には、上記二尊像の他に四天王像(鎌倉時代・市指定文化財)も保管安置されている。

広目天(前)・増長天(後)

多聞天(前)・持国天(後)

                          (クリックで拡大)

返り際に庫裏を訪ね拝観のお礼を言って、再度、真っ白い巨像を見上げたが、やはり周囲の風景に溶け込んでおらず、楊貴妃も居心地が今ひとつではなかろうか。

(仏像の写真撮影と当ペ−ジへの掲載は二尊院さんの了解をえております)


トップペ−ジに戻る