広島・安芸 明光寺・薬師如来坐像


JR芸備線
中深川駅の北方約300m、三篠川の北岸にある明光寺は、正式名称を牛尾山正明院明光寺(広島市安佐北区深川)と称する。
 
 寺歴史は意外と古く、寺伝によれば天長8年(831)国造久島家勝が「薬師寺」を建立したことに始まり、古義真言宗(※)仁和寺の末寺となる。4年後の承和2年(835)仁明天皇より「正明院」の勅号を下賜され、郡中国郡志によれば七堂伽藍と十二子坊を有する大寺として隆盛を極めたとある。 享禄2年(1529)
薬師如来坐像(現存の像)を造立、天文8年(1539)薬師堂(現存堂の前身)建立、慶長6年(1601)仁王門建立が建立された。

 明光寺仁王門明光寺本堂














慶長16年(1611)住職存秀により浄土真宗に改宗(浄土真宗本願寺派)し、薬師堂の西側に
明光寺本堂(現存本堂の前身)を建立(改宗後「薬師堂」は明光寺抱えとなり明光寺の祖先仏として代々その護持にあたっている) 文政6年(1823)薬師堂を2層の瓦葺屋根に改修、明治5年(1827)仁王門修復、明治39年(1906)本堂を再々建(現在の本堂)。その後本堂大屋根修復、薬師堂・薬師如来坐像修復などを経て現在に至っている。

明光寺・薬師如来坐像(丈六仏)薬師如来坐像(広島県重要文化財) 像高270p、寄木造、漆箔仕上げ、室町時代の作。本堂の左奥にある薬師堂(方4間、2層宝形造)に鎮座している。
面長で角ばった顔付で、右手は施無畏印を結び、左手に薬壷(現在は欠失している)を持つ典型的な像容。 納衣を偏袒右肩に着け、八角の台座に結跏趺坐している。 光背は火焔付二重円光で周縁に十一躯の化仏を配している。
 
 丈六の堂々たる体躯で胸部に僅かに金箔が見られる、また、側面から拝観すると多少前倒れ気味であるがこれは室町時代以降傾向である。 脇侍の日光・月光両菩薩は後世の作。
 寺のパンフによれば、平成5年の解体修理時に頭部より発見された墨書で享禄2年(1529)の作であることが判明した。


明光寺薬師堂、 文政6年浅野藩の援助で改修、平成6年再改修。内陣は太い4本の柱で構成されている。

若干しゃくれ顔で前倒れの姿勢

光背周縁の化仏

腹部に残る金箔跡往時の威容が頭に浮かぶ。
                        (クリックで拡大してご覧下さい)

(※)古義真言宗…高野山を中心に伝わった大日如来の本地身説をとる真言宗諸派の総称。

尚、仏像写真は明光寺さんの了解を得て掲載しています。


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