浄瑠璃寺は京都府木津川市の東南、奈良県との県境にある当尾と呼ばれる地区にある真言律宗の古刹である。
付近には鎌倉時代までさかのぼる石仏、石造物が数多く点在する。 行政は京都府であるが、地理的には奈良に近く平城京、東大寺、般若寺などが近くにある。
起源は当寺に伝来する「浄瑠璃寺流記事」よれば、永承2年(1047)の創建とされている。
浄瑠璃寺は九体阿弥陀如来坐像を祀る寺として著名であるが、創建当初の本尊は薬師如来坐像であった。 寺名は薬師如来の東方浄土、浄瑠璃世界に由来するもの。
中世から幕末にかけて南都興福寺の末寺であったが、明治初期に奈良西大寺の末寺となった。(参考:フリ−百科事典「Wikipedia])
「石仏の道」を経て、たどり着いた浄瑠璃寺の参道は馬酔木が茂り(参道の西側)、その向こうに簡素で小ぶりな山門が見える。
山門を入ると右斜め前方に本堂(国宝)がある
嘉承2年(1107)の建立。九体阿弥陀如来坐像、並びに厨子入り秘仏・吉祥天立像が安置されている。桁行十一間、梁行四間の本瓦葺き、寄棟造りの横に長い本堂である。
九体阿弥陀如来坐像(国宝) 中尊の阿弥陀如来坐像は像高2m強の丈六仏、来迎印(上品下生)を結び蓮華座に結跏趺坐。
両脇の各四体は像高140p前後で、いずれも阿弥陀定印(上品上生)を結び蓮華座に結跏趺坐している。
九体とも、偏袒右肩に納衣を着け、丸顔、なで肩で衣文の彫りは浅く、流麗で藤原時代の特徴を表す。 九体とも寄木造、漆箔。
(本堂内は撮影禁止です。本写真は浄瑠璃寺及び写真家 中 淳志氏の了解を得てポストカ−ドより転載しています)
訪れた日は、秘仏・吉祥天立像の特別ご開帳日であり、間近に拝することが出来た。
秘仏・吉祥天立像(重文)、鎌倉時代 像高90p、彩色、截金。九体阿弥陀中尊の向って左側に置かれた厨子に安置されている。
三日月型の細い眉、切れ長の目、朱色の唇、胡粉で白く化粧された顔は豊かな頬で、諸仏像を代表する美貌の持ち主。
頂上に鳳凰を付けた豪華な宝冠を冠り、左手に宝珠を捧げ、右手は掌を外に向けた与願印を結んでいる。
胸は瓔珞で飾り、大袖の付いた中国の貴婦人の服装で蓮華座に立っている。
(本堂内は撮影禁止です。本写真は浄瑠璃寺及び写真家 中淳志氏の了解を得て浄瑠璃寺発行冊子「浄瑠璃寺」より転載しています)
庭園
宝池を挟んで、東に本堂(西向き)、西に三重塔が建つ。浄土庭園で国の特別名勝に指定されている。
訪れた時期は、丁度紅葉の見ごろで、周囲の緑と紅葉の赤のコントラストが見事である。
また本堂と三重塔を対峙させた伽藍配置はうまく周囲の雰囲気に溶け込んでいる。
三重塔(国宝)塔高15.3m、方3間、桧皮葺の和様建築
初層に薬師如来坐像(重文・藤原時代)が祀られている。
構造上の特徴は、心柱が初層に無く、初層の天井から建てられている。
本堂前の石灯籠(重文)花崗岩製で高さ2m余、南北朝時代
紹介した仏像のほか、当寺には四天王立像(国宝・藤原時代)、秘仏・薬師如来坐像(重文・藤原時代三重塔の本尊)、地蔵菩薩立像(重文・藤原時代、本堂に安置)、不動明王及び二尊像(重文・鎌倉時代)の諸尊が安置されている。
拝観を終えて山門を出ると丁度バスの発車時間となった。浄瑠璃寺前からJR奈良駅までバス(奈良交通)で約30分を要す。
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