海岸山福禅寺・千手観音立像 他
今回も鞆の古刹を拝観しました(前ペ−ジと同じ日)。
福禅寺(真言宗)は山号を海岸山、院号を千手院と称し、創建は平安時代の天暦年間(947〜956)と伝えられている。(開基は判っていないようである)正式には海岸山千手院福禅寺と称す。
本堂につながる客殿は対潮楼と呼ばれ天禄年間(1690年ごろ)に建立されたようである。ここからの眺望を正徳元年(1711)の朝鮮通信使の従事官(李邦彦)は「日東第一形勝(朝鮮より東で一番美しい景勝地)」と賞賛した。尚、「対潮楼」の名称は、寛延元年(1748)の正使洪啓禧によって名付けられたとのこと。
千手観音立像(本堂本尊) 鎌倉時代の作、像高108p、寄木造、玉眼。
千手観音(正しくは千手千眼観自在菩薩)の基本的な姿は一面三眼千臂千眼(顔が一つ、眼が三つ、手が千本、一本の手掌毎に一眼を持つ)ということであるが、一般的には四十二臂像(中央の合掌する2手と左右に各々20手)である。(大阪の葛井寺、奈良の唐招提寺の像は実際に千本の手が作られた)そして、頭上には十一の化仏を頂くのが普通である。
本寺の像も頭上に十一の化仏をいただき、中央で合掌する2手を含めて42の手を持つ。第2手は定印を結び、他の手も持物は欠失しておらずよく残っている。円光背、宝冠、天衣、瓔珞などもすべて完備している、また、体の漆箔も残っている。これらは後補によるものと思われるが、同像は長い間本堂の厨子に秘仏として安置されていたため良好な状態が保たれたものと思われる。
地蔵菩薩半跏踏下像(本堂脇陣に安置) 鎌倉時代の作、像高69p、寄木造、彫眼。
本像は右手に錫杖を持ち、左手は膝上で宝珠を載せ、蓮華座に座し左足を踏み下げる半跏踏下げの姿である。
彩色の漆箔は殆ど剥落し、素地の年輪が表れて長い年月の経過を思わせ寧ろ趣きがある。衣の袖口、踏み降ろされた左足の衣の皺などの写実的な表現は鎌倉仏を思わせる。円光背、錫杖、宝珠などは後補と思われる。