御許山佛通寺
応永4年(1397)沼田荘地頭小早川春平が愚中周及(ぐちゅうしゅうきゅう)禅師を招請して沼田荘に創建した臨済宗の寺である。小早川氏の保護を受け、最盛期には塔頭八十八ヶ寺を擁する寺勢であった。
応仁の乱後寺勢衰え荒廃に向かったが、小早川隆景公の治世で一時復興せるも福島氏による寺領没収、明治初頭の廃仏毀釈等により存亡の危機に立たされた。その後明治38年(1905)、香川寛量和尚を初代管長として招請し、臨済宗本山の一つとして天竜寺から独立。西日本唯一の大本山として法灯はおおいに挽回された。(参考:佛通寺・リーフレット)
山門
創建時の山門は寛政8年焼失。現在の山門は文化年間の再
建、白壁の5本線は後小松天皇の勅願寺であったことを示す。
(参考:リーフレット)
仏殿
佛通寺の中心伽藍で、須弥壇に釈迦三尊を祀る。
文化6年(1809)の再建。釈迦三尊
本尊・釈迦如来の向かって右に普賢菩薩、向かって左に文殊
菩薩を脇侍とした三尊形式で祀る。
主尊の釈迦如来は宝冠を付けた姿で、宝冠釈迦と呼ばれる異
形の像である。禅宗系寺院に祀られる(円覚寺、建長寺、東福寺
など)。
仏殿の柱と床
粽の丸柱、礎盤、礎石、床は瓦の四半敷で全て禅宗様(唐様)
である。大方丈
仏通寺の本堂、儀式法要、説法の場となっている。本尊は十一
面観音立像。
方丈は『維摩経』に維摩居士の室が1丈四方の広さであったとい
う故事に由来し、寺院の住職の居室をとくに方丈と呼ぶようにな
った。
現在、基本的な方丈建築は、住職がお勤めをする室、一般の
応接間、檀家用の室、師僧が弟子に法を継ぐ衣鉢の室、仏像
や
位牌を祀る仏間、住職の生活の場である書院の6室からなって
いるのが一般的である。大方丈の玄関に掲げられた扁額「降魔」、この建物は「降魔殿」
と呼ばれている。
大玄関に安置されている座禅達磨
立札に、伊万里圓通寺・長谷川大道老師作とある。大方丈の内部、本尊は高村光雲工房による十一面観音立像。 141226
開山堂
愚中周及禅師とその師、即休契了(しつけいけいりょう)禅師
(中国・元の禅僧)を祀る。地蔵堂(重文)
応永13年(1406)建立、桁行3間、梁間3間、宝形造。本尊は
地蔵菩薩。
多宝塔
昭和4年の建物、間口、奥行き共に4.3m。銅版葺、縁高欄
をめぐらす。軸部は和様、軒の反りが大きい多宝塔である。
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